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2004年07月01日

婚礼と葬儀~スタッフ側の目的の巻き~(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

6月26日(甲府は晴れ)
姪っ子の結婚式があった。去年の甥っ子のそれと加藤家ではおめでたいことが続いている。
私はMC(司会)の仕事をはじめておよそ25年になる(もうこんなに経ってしまった)。大学時代からは歌のお姉さん、そして銀座の三越デパートの「ぬいぐるみ子供ショー」でデビュー。その後日本全国の遊園地やデパートを股にかけ活躍?!した。その後ファミリーコンサートやライブステージ、それから結婚式の司会。そして、時代の流れには逆らわずに、今は葬儀司会者としても仕事をしている。

ということで、私の周りの友人や知り合い、そして親戚縁者の多くの結婚式は、実の兄に至るまで私が司会をした。今まで出席した結婚式は去年の甥っ子まで十数年間のほとんどが、スタッフ側としての参加であり、ゆっくりと椅子に座り食事やお酒を楽しみながら喜びを噛みしめた経験はない。そして知り合いの葬儀にいたってもこの仕事をはじめてからは、進行や司会者の言葉、使われる音楽までが気になり、ゆっくりと悲しむことは出来ていない。井手が司会研修会でよく言うことだが、その道のプロはそのものに素直に浸ることができなくなるという現実がある。まったくその通りである。葬儀の仕事をしているばかりに、多分私は親も兄弟も連れ合いですら(私が見送ることになっている)その葬儀では時間や進行などの全体を気にしながら悲しむことになるだろう。でもそれがプロということだ。そういう自分に誇りを持っているのだが・・・。
話を戻すが、今回の姪っ子の結婚式では初めて、ただただ愉快でわがままなお客様として楽しむことが出来た。婚礼も葬儀もいわゆるセレモニーである(厳密には違うけど)。
そしてそのお客様はどんな気持ちでそこにいるのだろうということを実体験した。

姪っ子の結婚式はとにかく嬉しかった。最高にハッピーだった。様々なちょっとした不手際があっても幸せな2人に免じて許された。美味しいワインを飲んでフランス料理を食べて冗談言って笑って騒いで・・・。本当に心から姪っ子の幸せを喜んだ。
葬儀の現場とは違いすべてが自由で伸びやかだった。それが私的結婚式の楽しみ方だった。

さて、それではそこにいるスタッフはどうだろう。婚礼スタッフと葬儀スタッフの違いは何だろう、ということも私は観察してきた。
私たち親戚が、結婚式場に到着した時。スタッフは満面の笑みを浮かべ私たちを迎えてくれた。「親戚の者です」と言うと、両家の控え室へ案内してくれた。トイレの場所や更衣室を教えてくれた。式が始まる前に控え室に呼びに来てくれ、式場に案内し着席を誘導してくれた。司会者のアナウンスがあり新婦と父親の入場。拍手で迎えられ新郎にバトンタッチ。司式者の進行でセレモニーが始まる。署名、捺印、指輪の交換、誓いのキッス。私達が見守る中で粛々と進められる。そして披露宴の開始。その間スタッフは、常に先を見て進行させて行く。お客様の状態を見ながら祝辞や食事のタイミングを計る。現場担当者はそのつどスタッフに指示命令を出し祝宴は進む。スタッフはその指示に従いテキパキと笑顔でお客様に応対して行く。
ここまできて皆さんも気づくだろうが、結婚式と葬儀、そのスタッフの役割はなんら変わることは無いのである。笑顔や表情、態度に違いはあってもその目的に違いはないということが分かる。結婚式も葬儀もお客様が関わるセレモニーの「成功」にむけてすべては進められるのだ。結婚式では最後の花束贈呈でいかに感動を生むか。葬儀では最期のお別れから出棺をいかに故人らしいお見送りにしてあげられるかの違いだけである。

サービススタッフの目的は全国共通。そこにいるお客様がいかに満足する時間を作ってあげられるかということだけ。世の中のどんな場所においても、お客様はいつもどこでも満足したいと思っているし、それを心から願っている。そしてどんな場所でもサービススタッフというのは、お客様の気持ちを感じ取り、その時に出来る限りのサポートをしてあげることが求められる。そのスタンスは葬儀スタッフもなんら変わりは無い。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年07月01日 01:27

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