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2004年09月07日

遺族としての葬儀 (加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

9月6日(月)
数日前に母方の親戚が亡くなった。
母に頼まれ生前相談から手伝うことになり、地元の3つの葬儀社に見積もりに出かけた。
私は今のような仕事をしてはいるが葬儀屋さんではない。だから見積もりの細かいシステムをこれほどまでに詳しく目の当たりにしたのは初めてである。というのも今回の葬儀は事情があり「ジミ葬」を目的としていたから・・・。

3年前の義父の葬儀のときは、お金の用意もありまあまあのランクに決めて、あとはすべて葬儀屋さんに任せた。手数料とか備品料などという詳細が書かれていない曖昧な金額にも、まあ目をつむった。しかし今回はお金が無い上に3社の葬儀屋さんが差し出したどのプランも予算をはるかにオーバーした。
一緒に相談に行った故人の長男には見えない費用の概算が私には見えてしまう。

見積もりをしながら見えてきたのは、大きな葬儀社になればなるほど、担当者の独断でプランの内容を削って行くことは無理であるようだ。そういうシステムの中で仕事をせざるを得ない状況がある。これはその会社のやり方なので、いいとか悪いとかの問題ではない。多少のお金を出せばそれなりの葬儀になることも私だって充分わかっている。
でも今回は「葬儀は心」と割り切った。腹をくくって、葬儀プランの内容をどんどん削ってもらう。それに対する各社担当者の切り返しも面白かった。
私と担当者との心理合戦。交渉(ディベート)の世界そのもの!
(このやり取りはしっかりと、受注相談の研修会で皆さんにフィードバックいたします!)

しかし現実問題、身内の葬儀の相談をしていて「それはいらない」「それもいらない」「それ、絶対にいらない・・・」を言うには私ですら勇気がいった。
でも恥ずかしいことではない。私は「安い葬儀」を選ぶのではなく、「そういう葬儀の形式」を選んでいると感じたから。
すると不思議なことにお金をかけない部分と、かけてもいい部分が見えてきた。
かけてもいいと思ったものに対しては、お金が無いなりにも納得してお金を工面しようと思うものだ。だから結局はそれほど安い葬儀にはならないものだ(と思う)。
葬儀社にとって葬儀は仕事である。仕事で儲けることは正しいこと。
でもその儲け方のやり取りの部分が後々になって色々と指摘されるのだろう。
お客様は、納得すれば文句は言わない。

結果は、親族中心にしめやかに、ゆっくりと美味しい食事をとりながら、後々の支払いをなんら気にすることなく思う存分お別れが出来る葬儀になった。
葬儀社に支払う費用は、少ないながらも戴いたお香典で「トントン」。

現実、そのような喪家がここにいた。
その「喪家の想い」に添った対応が出来る葬儀社が私たち遺族に喜ばれた。
喪家のみんなが「料金的」にも、非常に満足が得られた葬儀だった。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年09月07日 00:55

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