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2004年10月31日
今年も多くの葬儀スタッフと共に、「接遇研修会」を通して、悲しみのお客様に向けた「葬儀の接遇」について深く考えて来た。日本全国、その地方で進める葬儀の形は違っても、私たち葬儀スタッフの目の前にいるお客様が、スタッフの接遇の良し悪しを瞬時に感じているということに違いはない。
長年の講師活動や、現場スタッフとして葬儀のお手伝いをする中で私が気付いたことだが、人とのコミュニケーションとは「目の前にいる方を大切にする」の一言に尽きる。葬儀の現場では、たまたまお客様でありスタッフであり、元を正せばみんなが一人の人間。お互いが、自分がされて嫌なことは人にはしないということなのかもしれない。
今私が行っている、ある大学のカウンセリング研究会での印象的な話がある。その勉強会には、保健士さんや高齢者施設の職員など福祉の分野で活躍している方が多い。ある施設での高齢者についての研究で、「85歳の女性のモデル」というものを作った。85歳の方が、朝何時に起きて何をして日中を過ごし、何時頃に寝て・・・というモデルだ。色々と研究したそうだが、出来上がって初めて気付いたことは、「こんなモデルに当てはまる85歳の女性は居ない」ということだったらしい。要するに「人間、育ち方、考え方、趣味嗜好が違えば、全ての人が違う形の人生の終末期を過ごすはずである」ということだ。
私の「葬儀の接遇」についての考え方も、目の前にいる人が違う人で、その方が何を思うのかが違えば、すべての接遇の対応が違って当たり前ということに至る。同じように、「故人が違えば、人生の終わり方や葬儀のすべてのことが違って当たり前」ということも言えるのではないだろうか。
その中で、弊社が開発した「FUNET追悼文」は、その故人の生涯を文章にして、多くの人が目に見える形に出来るということで、葬儀の中に「故人だけの生きた証」を演出できる優れものと感じている。さらに、そこに遺族からの故人への想いを投入するということは、遺族自身が亡くした方への想いを言葉にして表現し、その想いに改めて涙するということが、遺族のグリーフケアをサポートするひとつの手段として最適なものと、私は確信する。
葬儀接遇の基本は、「一人の故人を心から大切にする」ということから始まり、それがそのまま葬儀に携わる遺族はじめ多くのお客様を大切にするということにつながるはずだと、私は感じている。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年10月31日 00:25
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