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2004年10月22日

別府の風情は、夢の又夢(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

世の中で仕事をさせて頂き四半世紀、日本のあちらこちらを旅して来た。そして遂に今回大分県に伺うことで、地方行脚の全国制覇をした。

さて、初めて行った大分県、それも温泉として名高い別府。
湯煙の上がる風情、海を眺める丘、下駄をカランコロンとならして浴衣で歩く・・・などと私の得意な想像を巡らせること1ヶ月あまり、航空チケットを眺めながら、心からこの研修会を待ちわびた。

「台風の当たり年」今年はこの言葉を嫌という程聞いた。名古屋の時も長野の時も、大変な目にあった。そして・・・。

今回の研修会は、九州4県からその組織の多くのリーダークラスが集まった。主に葬儀の担当者向けの話をさせていただいた。私は接遇研修を中心として様々な葬儀社様に伺うときに、受講生の顔振れによっても、葬儀社さんの意向によっても話の切り口は大きく変わる。特にリーダー中心となる研修会では、お辞儀や言葉遣いなどという具体的な接遇の形よりも、これからの時代、葬儀社そのものが何をして行くのか、経営者やリーダーはどのようなリーダーシップを発揮して行かなければならないのかという気持ちの部分の話も受講生には受ける。

実の所、葬儀スタッフが接遇を極めて行くための心構えのベースには、日々の会社内のエネルギーの向きや、上司と部下や社員同士のコミュニケーションの深さが何よりも大切で、それが出来ていないということは、はっきり言って接遇研修会以前の問題だ。社員が心地良く仕事ができない場所で、お客様が心地よく葬儀が出来るはずは無く、社員同士がギクシャクしていたり精神的に満たされていない状態で、他人様に親切にしたりやさしく出来る筈が無い。

最近は接遇研修会と言えども、経営者からの意向で、そういう気持ちの部分を研修して欲しいとも言われる。そして私自身もこういう時代であるからこそ、葬儀スタッフの心の部分にはたくさんの時間を使わせていただきたいと思っている。

4県の葬儀スタッフと、次はそれぞれの県での再会を約束して別府温泉を舞台にした研修会は、懇親会も含め盛況の内に終わらせていただいた。

そして帰り・・・。ご想像の通り、「台風女」を証明するような展開だった。
これほどの目にあったのは、全国制覇の私と言えども初めての体験だった。

翌朝食事もそこそこに、駅のキヨスクで「ゆずこしょう」だけは忘れずに買って、取り敢えず上り電車に乗った。とにかく私は東京に帰らなくてはならない。小倉までたどり着いたは良かったが、そのまま新幹線の中で4時間。

気ままに多くの仕事を終わらせたところで研修担当者さんから電話。飛行機に変えた方がよいとの判断でちょっと焦って福岡空港へ。夜の便のチケットを予約し、天神の山頭火で塩ラーメンを食べるほどの余裕があったのはココまでで、結局飛行機は、飛ばないという判断が下る。翌日の福岡発東京便はすでに満席で、ちょっとクラッとしながら地下鉄で博多駅に戻る。夜行も運休。チョー焦った。

すぐにそのJRの窓口で東京の井手に「ホテルを探して~」とSOS。同時に窓口で翌朝の新幹線チケットを取る。駅のあちらこちらでは携帯でホテルを探す人があふれている。(もしかしたら今夜は駅のベンチで眠るのか?考えただけで気持ちが萎える)すぐに井手がインターネットで押さえておいてくれたホテルに予約。泊まる場所もゲット。

その日、別府温泉で朝風呂に入ったところまでは優雅な一日の始まりだった。ツインなのにこんなに狭いかと思う部屋のベットに座った時には、その日一日重い荷物と疲れを引きずりながら知らない町を歩き回った自分がいじらしいのと、布団で眠れる!という安堵に涙があふれた。お風呂にも入れる。私はラッキーなんだと思い直す。

さて、翌早朝、博多駅始発ののぞみで東京へ向かう。
実はその日、次男の中学校の音楽発表会。私はPTA&先生混合コーラス団の指揮者。奇跡のごとく演奏時間に間に合いそのまま舞台へ。本番では、何事も無かったように普通に歌えることの幸せをひしひしと感じた。

初めての別府温泉の風情は・・・、滝のごとく坂道を流れる雨の凄さしか覚えていない。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年10月22日 00:34

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