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2004年11月05日

魂を込めた15分間(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

「お別れ会」の司会を担当させていただいた。
酒屋さんとして70年、そして92年のご生涯・・・。
花祭壇にはナンと数百本の一升瓶やビール、酒樽など、公私共に故人が愛してやまなかったお酒の数々が飾られた。

喪主様の「献酒の儀」でお別れ会は始まった。
1時間10分ほどのお別れ会の中で、350人近い会葬者の献花。
(献花には30~40分の時間をとった。)
そして15分が喪主様と弔辞者2名のご挨拶。
あとの15分が、故人の人生を振り返るスライド上映だった。
このスライド上映が、お別れ会のメインイベントといってもよいだろう。

92年を生きた故人の歴史は、明治、大正、昭和、平成と、地元横浜の発展そのものと言ってもよい。
港が発達するその時代と戦争と・・・共に綴られる故人のスライドは、それだけで一つの時代を象徴する素晴らしい出来上がりである。
映像だけでなく、音楽も素晴らしく、双方が効果的に使われていて、プロジェクトXのような劇的な仕上がりに鳥肌が立った。

私の司会者としての仕事は、司会進行だけでは無かった。
このスライドに、生で言葉をのせること。
私が司会の仕事を始めた頃は、スライドというと写真が1枚ずつストップモーションで出てきて、それを見ながら、あらかじめ作成された文章を司会者がしゃべっていくというものだった。
写真が出ている限り自分の言葉でしゃべることが出来たし、私がしゃべり終えて「ハイ、次へどうぞ」と言ったら写真が次へと進んだ。

現在はパソコンでソフトさえ使えば自由自在にスライドが作れる時代になった。
結婚式などでも若いカップル自らが作ってくることもあるらしい。
この日はプロの作品で凝りに凝った作品。
そして故人を表現する文章が、上から下から、右から左から、斜めから、いつの間にか出て来てはくるりと回っていきなり消える。

その文章をリアルタイムでその同じ言葉を喋るのが私の仕事である。
文章が出てきて消えるまでの時間は場面によって様々。
練習ではタイミングを計るまでに時間を要した。
早くても遅くてもダメである。
当日はその場にいる全員がそのスライドを食い入るように見るはずだ。
手元の原稿とスライドを凝視しながら、タイミングを外す訳には行かない。
文章を噛んだり、間違えたりする訳にはいかないのである。
お別れ会の前日も遅くまで式場の準備が終わらずに、結局本番通りのリハーサルは出来なかった。

私は、お会いしたことの無い故人の人生を、文章から感じ取り思いを込める。
しかしあまり感情的にはならないように、しみじみと、時にはクールに・・・。
あまり読み込んでも新鮮味が無くなる。
気持ちにはゆとりを持って落ち着いて、ゆっくりとしたリズムと呼吸・・・。

結局本番通りに練習ができたのは、当日朝の1回限り。
私は司会の仕事でも、結構修羅場をくぐって来たかと思っていたが、まだまだである。
極限の緊張で初めて吐きそうになった。
でもそれを周りに見せる訳には行かない、本番は一発しかないのである。

魂を込めた15分間のナレーション・・・久し振りにいい仕事だった。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年11月05日 23:37

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