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2004年11月25日

「無宗教」という自由な形(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

「偲ぶ会」の司会をさせていただいた。
故人は78歳で10月初めに石川県で亡くなり、多くの友人知人のいる東京で改めてお別れ会をなさったのだ。すでにご遺骨になられてはいるが、会葬者に涙している方は多く、そこには葬儀と同じくらいの悲しみがあった。

 

1月程前に、喪主を務めるお嬢様から直接相談を受けた。
「東京芸大を卒業なさり、テレビのタイトルデザインや、書を手がける芸術家だったお父様らしい、自由な雰囲気の偲ぶ会にしたい」という、強い想いをお持ちだった。
過去に何度も偲ぶ会の司会をさせていただいているが、喪家と私の間に葬儀社さんが入っている場合、私に司会の依頼があった時点では、ある程度の次第がすでに決められていることが多い。しかし今回は間に入る葬儀社さんはいなかった。

最初から遺族の想いをくみ上げられるということは、本当にその遺族がやりたいと思っている形にできる可能性が大きく、やりがいがある。
じっくりと、お嬢様の想いを聴くことができたということに感謝したい。
1時間の偲ぶ会の中で、何をメインにして、全体をどのような雰囲気にして・・・。
故人への想いを聴きながら、私の中でイメージは膨らんでいった。



次第の最初にした故人のナレーションは、なるべく遺族の言葉を引用しながら作った。
厳かに、且つ親しみのある言葉で、会の雰囲気を作って行った。
その後に続く喪主様のご挨拶も、皆さんに語りかけるように、お嬢様の人柄が表れるやわらかな言葉が続く。

そして、弔辞(お別れの言葉)になった時。
それまでの雰囲気が、弔辞の方にも乗り移ったようだ。弔辞の時間はあらかじめ3~5分程度とお約束しているが、こればかりは、社葬のように型どおりの言葉の原稿を読みながらあらかじめ決められた言葉を話すものとは違い、個人の偲ぶ会となると、弔辞が始まってからどのような展開になるか、どのくらいの時間になるのかが皆目検討つかない。



私の経験から、リラックスした雰囲気の会では話しも長くなることが多い。そして原稿を持たないご友人がおもむろにマイクの前に立った。そしてそのお付き合いは大学時代からという話が始まった。案の定、若い時の出逢いからはじまり貧乏旅行のあちらこちらのエピソード、10分が過ぎた頃にもまだ30代の頃の話が終わらない。しかしその内容はとても興味深く、会葬者も私もその内容に引き込まれていく。

司会者としてはまだこの後、いくつかの次第があり、時間のことが非常に気になる。結局20分間その話は続いた。しかし今終わってみれば、そこに集まった多くの人に故人の人柄がよく分かる素敵な弔辞で、それこそが自由な雰囲気の偲ぶ会を作り上げたように思う。

その後、故人が大変好きだったという「涙そうそう」を私から「献唱」させていただいた。お嬢様や会葬の方たちも涙を流しながら共に歌ってくれた。最後の「♪会いたくて・・♪会いたくて・・」のくだりには、私も本当に故人に会いたい気持ちでいっぱいになった。そして献花でお別れをして、偲ぶ会は閉式した。
「FUNET」の追悼文が、故人らしい偲ぶ会の雰囲気を手助けしたのは言うまでもない。



「偲ぶ会」というお別れの形が増えている。
無宗教という空間には既存の葬儀に偏らない自由な発想と、司会者にもそれを表現できる技量が求められる。これから益々そういう雰囲気を求めるお客様が増えていくだろうと私は確信する。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年11月25日 23:14

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