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2004年11月11日
「中国における浄土教の歴史的展開」 というレポート課題が与えられ、見事に赤点をもらいました。 懐かしいっす ! 高校の物理で28点を取って以来だ。 実に、30年振りぐらいになるのでしょう。 甘酸っぱい感覚が甦りました。
中央仏教学院(通信)の専修過程に在籍して3年目。 月に2度ほどの割合で、築地本願寺で学んでいますが、日ごろの不勉強が祟りました。 来年の卒業に備えて、得度するかどうかを学友の皆さんが悩んでいる時にこれですから、 まったくの落ちこぼれです。
そういえば、弊社のスタッフは何かを学んでいる人が多い。 加藤は、ルーテルで心理学を。 ・・・私は催眠術と言って小馬鹿にしています 藤田は、個性心理学とハワイアンを。 ・・・私は占いと腰振りダンスと言って小馬鹿にしています 石川は、エアロビとメイクかな? ・・・私はただの趣味と言って小馬鹿にしています 工場長は、何やらの学会でゲームのプログラミングみたいなことを。 ・・・私はゲームマニアと言って小馬鹿にしています 橘は~まだコラムには登場していませんが~専門家からナレーター技術を。 ・・・私は儚い器用貧乏と言って小馬鹿にしています
* そしてかく言う私が、一番の大馬鹿者でした ! ドーン・ドーン・ドーン『乗り突っ込み』ドッ・ドーン・ドッ・ドーン ! (安田大サーカス風) 反省しまーす。
馬鹿の語源はいくつかあるようですが、まさに字の如く「鹿を見て馬となす」、真実の姿が見えないのですねえ。
懐かしいことを思い出しました。 真実の姿が見えた瞬間です。 15年位前になるでしょうか、東京のとある葬儀のプロ司会者がこんなナレーションをしていました。 「ある国では、悲しみに遭うことを、人生の親戚に出会うと申します・・・」 ある国とはどこやねん ! と、突っ込みを入れたくなったのでよく覚えていたのです。
ところが、それから2年程した後、まったく同じ文章に出会いました。 それは大江健三郎さんの「人生の親戚」という伊藤整文学賞受賞作の帯にありました。 何のことはない、その司会者はそっくりコピーしていただけなのです。 これが真実の瞬間かあ、とガックリきました。
一概に批判するつもりはありません。 私も、小説・新聞・テレビ・ラジオと様々な媒体の影響を受けて文章を作成しているわけですし、似たような言葉はどこにでも転がっているものでしょう。
ただそのまま使ったのでは、少し厚顔無恥な感じがしますし、そこに自分の言葉が加わらなければプロとして失格という見方もできます。
私のナレーションは、セミナーで大量放出するからでしょうが、巡り巡っていろんなところで使われているようです。 それは構わないのですが、自分の言葉やイメージが付加されないと、その司会者自身が成長しないだろうと、残念でなりません。
[FUNETナレーションシステム]は、故人の名前だけを入力すれば、後はシステムの指示に従って選択するだけでナレーションが完成します。 その間5分程しかかからないでしょう。 しかしそれでは司会者が成長しないので、自由に文章を打ち込むことが出来るシステムを追加してあります。 そのことで故人のオリジナリティも保ちたいと思ったのです。
限られた時間の中で、毎回オリジナルのナレーションを、ゼロから作成するのは大変です。 だからこそ、作業の効率化という司会者支援の方向でFUNETシステムを考案しました。 しかし、ただ単に司会者を怠けさせようとか、ナレーション偏重の葬儀を目指したものではありません。
司会作業を効率化し、故人のオリジナリティを保ち、司会者も成長できる。 馬鹿なりに、本当の司会者支援のシステムを求めた結果です。
是非一度、ご体験ください。 http://www.funet.jp
例によって最後に一句、
「さりげなく 歳に不足は なき母と 人には言えど 別れは悲し」
ビートたけしさんのご母堂様のご葬儀で使わせていただきました。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年11月11日 23:32
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