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2004年11月07日
年をとって太ってきたので、最近はあまり怒らなくなったが、それでも腹が立った言葉がある。 『引導まで10分ね、それも司会者の実力だからっ!』 葬儀担当者の発言を聞いて、脳の血管が切れそうになった。
ご葬儀当日、お寺様の到着を待って、それからお打ち合わせに入るのだが、何でも司会者まかせで、同席しない担当者が多いのには驚きを通り越して呆れるばかりだ。 さらに上記のような馬鹿な発言をする者までいる。
いったい宗教儀礼をどう思っているのだろうか? そもそも故人には、宗教儀礼を受ける権利があるのだ。 そして遺族には、それを厳かに見守らせてあげたい。 誰のための葬儀なのか、担当者・プロデューサーとしての自覚がないのか?
ひどい担当者になると、中学生レベルの字が読めない、宗派のことがまるでわからない、お経がトンチンカン、残念ながら場違いな人が居たのではお寺様との会話も成り立たない。 その「場違いな人」が、葬儀の担当者なのだから困ったものだ。 そういう人に限ってお寺様を毛嫌いする。 仕方なく、私一人で導師と打ち合わせをすることになる。
そもそもお焼香の際の、香炉の数の決定方法を知らない担当者が多い。 6尺テーブルなら3個とか、4尺なら2個だとか、幼稚園から小学校低学年レベルである。 すくなくとも割り算を習えば分かるはずだ。 焼香に与えられる時間と、捌かなければならない人数との関係で、焼香の香炉の数が決まるのだ。 テーブルのサイズが基準になるのは、発想が貧困としか思えないし、プロとは言いがたい。 物理的な問題が生じた時にどうするかが、担当者の腕の見せ所だろう。
こういうニセモノに限って、黙って録音したり、終了後にナレーションを欲しがったり、打ち合わせ用紙をコピーしたりするものだ。 自分では何もしない、人任せでいい加減な担当者は御免こうむりたい。 もう少し、プロとしての自覚と学ぶ姿勢が欲しい。
むやみに短気は起こさないが、悪い葬儀社だと思ったら司会には行かない。 誠に勝手ながら、これからも弊社の方針は変えないつもりだ。
話は変わるが、11月15日に東京で[ベーシック講座]が開催される。 すでに全国から21名の応募があり(30名締め切り)、ありがたいことだ。 往復の旅費を考えれば、大層な費用になろう。 手を抜くわけにはいかない。
今日で45歳、世で言う不惑を過ぎて5年。 何のナンノ、不惑どころが毎日がワクワク(惑惑)だ。
読書は、「白夜行」「迎え火の山」「出奔」「蝦夷松前藩異聞」と、どれもおもしろくて充実した。
最後にまた「徒然拾撰集」から
心こそ 心まよわす 心なれ 心に心 こころゆるすな
心はコロコロ変わるから、「こころ」なんですかねえ。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2004年11月07日 23:35
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