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2005年01月29日
小学校3年生の時・・・ どうしても習いたかったピアノを買って欲しいと、 私は両親にさんざん頼み込んだ。 音楽の通信簿の点は5段階でいつも4しか取れていなかったから、 父親は高をくくっていたのだろう。 『5,ゴー取ってきたら買―たるでぇ』 その言葉に反応したというか真に受けた私は、 女勝負師なのか、物がかかったら勝ち取る習性があるのか、 次の学期ではしっかりと5を勝ち得て喜々として帰ってきた。 そして通信簿を開き父に詰め寄った。 「取ったよ、取ったよ、ピアノ、ピアノ買ってぇぇぇ」 約束したのだから “そーかそーか、取ってきたならしゃぁないなあ、買うたろかー” と言ってくれるものと、はなから信じていた。 ところが、返ってきた言葉は信じられない、 『そんな事言った覚えないでぇ』 何度頼み込んでも答えは同じだった。 楽しみに楽しみにしていた私はひどく傷ついて、 その日から何年も心の底では“うそつきじじぃ”と罵ったもんだ。
それから数年、私が中一の時・・・ いとこが嫌々習わされていたエレクトーンを、 やっと止めさせてもらえるからっていうので、 タダで譲ってくれる話が舞い込んできた。 “タダ”が効いたのか、うちの親は、ならば習わせてやろうと、 早速そのエレクトーンは我が家に運ばれてきた。 実はその楽器はとんでもなく古い、いにしえと化した機種であったのだが、 私にとってはまさに、夢の楽器であった。 余程好きだったのだろう。 後で聞いた母の話によると 『危ないから休みなさい』という母の言葉に耳も貸さず、 嵐の日も大雪の日も熱があっても、セッセと習いに通っていたそうだ。 時間さえあれば弾いていた記憶があるから、 寝食を忘れて!とはこういう事をいうのだろう。
そしてトントン拍子に上級編へと上り、 高一で講師の免状を、 高三でもう一つ格上の免状をとった。 高二の時就いた先生が、今思えば運命の出会いだった。 (あくまで私にとって、だが) その人は、うっとりとするほど美しいサウンドを奏でる人だった。 (ついでに容姿も美しかった) 私もこんな風に弾けるように早くなりたい! それからというもの私の練習ぶりといったら 端から見ていたら凄みさえあったと思う。 しまいには練習したさに修学旅行さえも適当な嘘をついてパスした。 二泊三日の72時間が勿体なかったからだ。
それから間もなく・・・ 以前にも触れたが本格的なコンクール時代を経て、 神戸から上京することになり現在に至っている。
今の私がどれほど上手かはわからないが、 少なくとも18歳から音楽の仕事で女一人食ってきたのだから、 これ、「好きこそ物の上手なれ」と言ってもいいのかもしれない。 関係ないが、運命の美しいお方は男性で・・・ ついでに告白してしまうと、私は恋に落ちたのであった。 やっぱり《 好きこそものの上手なれ!》ですわ。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年01月29日 22:12
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