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2005年01月23日

セレモニーとBGM(関谷 京子)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

私は21歳の時から一人暮らしを17年もした。
結婚なんぞ出来ない、と何故か確信に満ちて、
忙しくめまぐるしい日々を送っていた。

だから、と言うわけではないけれど、
いずれは髪を剃ろう!とまで思い詰めていた。
良寛禅師の本を読みながら、
自ら“娑婆(しゃば)の尼”と豪語していた程だ。

そんな私が、ひょんな出会いから突然結婚したのが38歳の時である。
お式も披露宴も、落ち着きのあるといえば表現がいいが、
ようは参列者共々“エー年でっせ!”といった面々ばかり。
親族もこの日を待ちきれず、あの世に行っちまった人が多い為、
最小限の人数にとどまった。

ここぞ!と、泣きの入る花束贈呈シーンでも、
やれやれやぁ、と、ホッとした気持ちの方が強かったのだろう。
感極まって泣くという我が父の姿なんぞ・・・
何処にも欠片も無く淡々としたものだった。

演技でもいいから泣けー!と
自らにも父にも胸の内で叫んだりしたが、
お互い一粒の涙さえ出なかったのを覚えている。

私がブライダルの仕事で演奏をしていた頃、
人様のお披露宴は、大概が賑やかで華やな中進行し、
花嫁の父だけがガックリと肩を落とし、
花束シーンなんぞ最高潮に盛り上がりを見せ、
こちらまでもらい泣きしそうな光景だったものだ。

同じブライダルでも、こうしてお式の雰囲気は100人100様、
これ葬儀とて同じなのだろうなあと、
葬送BGMに携わることになった私は、最近つくづく思うようになった。

BGMというものは、
その場に相応しい、雰囲気を盛り上げる為のものなので、
あくまで主調することのない、けれど大切な演出だと思う。
葬儀などは、特に故人を偲ぶ静けさの中で、
各シーンにおいて、少しでも悲しみを癒していく、
お手伝いが出来ればと思うのである。

でもやっぱりお葬式は、めでたい程にポーックリと大往生!
とかで、涙が少ない方が一番いいんだろうな、
というのが、最近のわたしの感想だ。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年01月23日 22:19

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