そんな私が、ひょんな出会いから突然結婚したのが38歳の時である。
お式も披露宴も、落ち着きのあるといえば表現がいいが、
ようは参列者共々“エー年でっせ!”といった面々ばかり。
親族もこの日を待ちきれず、あの世に行っちまった人が多い為、
最小限の人数にとどまった。
ここぞ!と、泣きの入る花束贈呈シーンでも、
やれやれやぁ、と、ホッとした気持ちの方が強かったのだろう。
感極まって泣くという我が父の姿なんぞ・・・
何処にも欠片も無く淡々としたものだった。
演技でもいいから泣けー!と
自らにも父にも胸の内で叫んだりしたが、
お互い一粒の涙さえ出なかったのを覚えている。
私がブライダルの仕事で演奏をしていた頃、
人様のお披露宴は、大概が賑やかで華やな中進行し、
花嫁の父だけがガックリと肩を落とし、
花束シーンなんぞ最高潮に盛り上がりを見せ、
こちらまでもらい泣きしそうな光景だったものだ。
同じブライダルでも、こうしてお式の雰囲気は100人100様、
これ葬儀とて同じなのだろうなあと、
葬送BGMに携わることになった私は、最近つくづく思うようになった。
BGMというものは、
その場に相応しい、雰囲気を盛り上げる為のものなので、
あくまで主調することのない、けれど大切な演出だと思う。
葬儀などは、特に故人を偲ぶ静けさの中で、
各シーンにおいて、少しでも悲しみを癒していく、
お手伝いが出来ればと思うのである。
でもやっぱりお葬式は、めでたい程にポーックリと大往生!
とかで、涙が少ない方が一番いいんだろうな、
というのが、最近のわたしの感想だ。