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2005年01月11日

ある男の挨拶 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

さえない男がいました。
もうすぐ50歳に手が届きますが、いまだに嫁もいません。
兄弟も無く、一人っ子。
年老いた両親と暮らしていました。

男は、人付き合いが苦手です。
若い頃は、普通の会社員として勤めたこともありましたが、
人間関係に疲れ、傷ついて会社を去りました。
数年が過ぎて、心の病も癒え、再び次の会社で頑張りました。
しかし、やはり40歳を目前にして会社を去ります。
理由は、いつも同じでした。

他人と上手くやっていけない。

両親は代々続く酒屋を営んでいましたが・・・。
男は、酒屋の一人息子として、それは大事に育てられたのです。

確かに男は、世間一般から見れば変人でした。
その風貌は、適度にだらしなく、髪はチャンタ分け(1:9)です。
目線はいつもうつむき加減で、ボソボソとしか話しません。
暗いタイプの人間でした。

ある日・・・、
男の父親が亡くなりました。
冷たい雨の降る夜のことです。
年老いた母と男が遺族です。
男は、生まれて初めて喪主を務めます。

お葬式の準備は慌しく、次第に男は取り残されていきました。
喪主の重責に戸惑い、あたふたしました。
優柔不断な性格から、何事も決められず、
やがて遠い親戚の方と、葬儀社が采配を振るいます。

しかし、男は幸せでした。
ゆっくりと、心置きなく、悲しめるからです。
無理に他人と話す必要もなくなり、
難しい決断を迫られることもなくなり、
ただひたすら父親を思って、幼い子供のように悲しんだのです。
通夜・葬儀と進行していく中で、
男はひと言も口を開きませんでした。

無事に二日間が過ぎようと・・・していました。
そして最後の、出棺の喪主挨拶――。

見守る誰もが心配しました。
元来無口でしたが、男は二日ぶりに喋りました。
司会者に紹介された男は、父親が眠る霊柩車の脇に一歩出ました。
どこか落ち着かない様子でしたが、
その目には力がこもり、決意の程がうかがえました。
男は、ポツリポツリと・・・話し始めます。

『本日は、ご会葬・・・ありがとう・・・ございました。
私は、こういう人間だから・・・他人とうまくやっていけず、
この二日間、いろいろと失礼な振る舞いをしていたらお許しください。
それから・・・会社を退職して、もう10年近くにもなるのに、
昔の同僚が、仲間が、父の葬儀に・・・わざわざ参列してくれました。
やめた人間なのに、ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・
私はもうすぐ50歳ですが、嫁のきても無く・・・未だに一人身です。
こんな自分を・・・父が、とても心配してくれていたのは分かっています。
だから、2度目に私が会社をやめた時、私の将来の受け皿として、
代々続いた酒屋を閉めてまで、コンビニ経営に変えたのだと思います。
分かっていました・・・。
父は、酒屋が好きで・・・誇りにしていたのです。
それなのに私は、24時間営業のコンビニなんぞにしやがってと・・・、
事あるごとに、年老いた父に毒づいていました。
父は何も言いませんでした。
いつも静かに聞いているだけでした。
・・・・・・・・・・・・
本当に・・・情けないです、いつまでも甘えて・・・。
父が亡くなった時、雨が降っていましたが、
それは・・・もう充分いい年なのに、50歳になろうとしているのに、
いまだに大人になりきれない自分を悲しんで、父が・・・
泣いているような気がしました・・・。
・・・・・・・・・・・・
これからは、もう父を悲しませることのないよう・・・
しっかり前を向いて、自分の足で歩いていきたいと思います。
そして残された母を・・・父の分まで大切にしたいと思っています。
最後まで、見送っていただいて、ありがとうございました。』

男は、顔をクシャクシャにして、号泣していました。
隣では、年老いた母親も泣いています。
見送りの参列者も皆、すすり泣いていました。
男は、優しく、大事に育ててくれた父親と、
二日間じっくりと向き合っていたようです。

霊柩車のクラクションが大きく鳴り響き、静かに出棺しました。
それは、父親から息子へ送られたエールのように、心に染み渡りました。
父と子は、互いに響きあっていました。

・・・心に残る、いいお葬式でした。

《迷惑なほど長いオマケ》
ところで昨日は、成人式でしたね。
街に出れば着飾った若者たちが、これ見よがしに闊歩していましたが、
業界的に見れば、またひとつ日本全国で、少子化が進んだわけです。
(こういう物の見方はまずいでしょうか)
それにしても、成人式の半数以上の若者が・・・、
私には、ホストとホステスに見えてしまうのは、
私が年を取ったということでしょうかねえ。
やけに、チャラチャラして見えて、日本の将来に絶望します。
(こういう物の見方もまずいでしょうか)

昔の成人式は、1月15日でした。
毎年成人式の日を迎えるたびに思い出すことがあるのです。
私は父と二人暮しの父子家庭で育ちましたが、
35年前の1月15日、父が亡くなりました。
(かなり古い話で恐縮です)
当時私は11歳、小学5年生でした。
確かテレビ番組の、「仮面の忍者赤影」か「風の藤丸」を観ながら、
父の帰宅を待っていたら、倒れ掛かるようにして父が帰宅しました。
『父ちゃん、お帰り・・・』と、その姿を見た瞬間、
これはただ事ではないことを察知しました。
土間を上がった畳の部屋に、不十分な体勢ながらも父を横たえ、
いつも小銭入れにしていた茶箱の中から10円玉を数枚握り締めて、
近くの赤電話のあるお店に猛然と走りました。
(当時我が家にはまだ電話がありません)
恐らく私は動揺で、息もしていなかったと思います。
とにかく急がなければ・・・。
走っている最中にも、一人家に残してきた父のことが気がかりでなりません。
いくつかの親戚、救急車の要請・・・。
やがて親戚が駆けつけてくれて、救急隊員が到着し・・・。
その後の経過は・・・ちょっと記憶が曖昧です。

父はその夜、搬送先の病院であっけなく亡くなるのですが、
その事実を知らされたのは、翌朝のことです。
幼かった私への配慮なのでしょうが、少し不満が残りました。
すっかり死化粧を整えられ、綺麗な布団に寝かされた父との対面。
・・・絶望しました。
その映像が、今でもはっきりと思い出されます。
そしてその日は、成人式・・・厭らしいほど晴れやかな一日でした。
(でも、命日が憶えやすくて良かったです)

昨日まで元気だった人が、ある日突然居なくなるという事実に、
まったく、ついていけませんでした。
驚き、悲しみ、怒り、悔しさ、不安、不思議・・・。

その後私は、いくつかの親戚の援助などで育てていただいたのですが、
詳細はいろいろと・・・まあ語弊があるといけないので書けません。
しかし不思議なもので、その後の10年間ほどは、
父の匂いを、嗅覚の奥の方で覚えていたのです。
懐かしい汗の匂いだろうとは思いますが・・・。
夜になって布団に潜ると、鼻の奥で父の匂いが甦り、良く泣いていました。
(随分昔の話ですよ、今じゃ鬼の目に何とかです)
だから、親の背中の感触や懐の温もり、
個体としてのDNAが発するその独特の匂いは、
~これは哺乳類の特徴でしょうが~
やはり暖かく包み込むようで、今でも安らぎだと確信しています。
(だから用もないのに子供を抱きしめます、自分が死んだ時のために?ってか)

究極のプラス思考かもしれませんけど、
親が居ないということは、期待されることもないし、プレッシャーもゼロです。
物の見方一つでは、大きな自由を手に入れたことにもなります。
お陰で私は、自分がやりたいと思ったことに気兼ねなくチャレンジ出来ました。
若い頃に親を亡くしたからといって、必ずしも不幸とは限らないのでしょう。
人生模様は予測もつかず、複雑怪奇を極めます。
それがまた人生の醍醐味で、おもしろいところなのですが・・・。
だからこそ、物事を表面的になぞって、
単純なものの見方しか出来ない人を、私は極端に毛嫌いするのです。
(どうも人間が小さくてすみません)

業界関係の偉い方で、『私は十代で喪主を務めた・・・』とか、
事あるごとにおっしゃる方もたくさんいますが、
ご本人の目の前では、さすがに何も言いませんけど、
それがどうしたの ? としか思いません。
その経験がそんなに立派だとも思えませんし、
むしろこの物語(実話ですよ)に登場してくる「さえない男」のように、
ある程度の年齢に達してから、年老いた親を亡くされたケースの方が、
ショックが大きいのかもしれない、と思うこの頃です

それにしても・・・、
葬儀を出す、また、喪主を務めるという経験は、
人間を一回り大きくする可能性を感じます。
深い悲しみを乗り越えるということで、
精神が鋼(はがね)のように鍛えられるのでしょうか。
やはり逝く人が、身を持って教えてくれるのでしょう。

ああ、あの時私も喪主を努めていれば、
人間が一回り大きくなっていたでしょうに・・・。
残念ながら今は、腹回りだけが2回り以上大きくなりました。

50歳を目前にした、チャンタ分けの、さえないこの男にも、
ホストやホステスと見紛うばかりの出で立ちで成人式を迎えた若者たちにも、
それぞれに予測不能な、涙と笑いで溢れた人生の道が続いているのですね・・・。

さて今年の成人式は・・・
我が子のように思っていた姪が二十歳なので、我が家で盛大に祝いました。
まだ自分に子供がいなかった頃は、姪の写真を財布に入れて持ち歩き、
傍迷惑なほどかわいがって、小学校の6年生までは、
何と一緒にお風呂にも入っていたのです。
(中学生になって拒否された時は、目の前が真っ暗になりました)
今では父の命日の1月15日が成人式ではなくなっていますし、
姪の成人式を盛大に祝ったことで、
そろそろ私も成人式の呪縛から解き放たれそうです。

またまた長くなってしまいましたので、今日はこのへんで・・・。

街行けば 衣を着けて 着飾って
       成人式に ホストとホステス
(思いっきり・・・残念!切腹!)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年01月11日 22:31

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