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2005年01月04日

「FUNET」裏話!(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

足かけ2年半の月日をかけて、
昨秋、ようやく弊社の「FUNET」が陽の目を見た。
影ながら応援して来た私たちスタッフの胸にも万感の想いがある。
それはある意味、MCプロ葬儀司会の集大成でもあるのだ。

私自身、葬儀司会という特異なジャンルに
これ程までにのめり込むとは思ってもいなかった。
「ここまで来たら、行くところまで行ってやろうじゃあないの!」
という感じだ。
「FUNET」は、まだまだ進化中である。
井手社長の次なる戦略は何か!
スタッフ一同興味津々、そして戦々恐々・・・である。

さて、何事の開発にも、身近なスタッフがその実験台に使われる。
ご多分にもれず「FUNET」も・・・。
ここに来るまでに多くの開発実験が繰り返し行なわれた。
「FUNET」は、葬儀のお客様のための商品である。
ということはそれを開発するために、
故人のことを書く喪主又は遺族と、
亡くなったとされる故人のモデルが必要だ。

もうお気づきだとは思うが、弊社スタッフ全員の親類縁者は、
少なくとも2度以上は、見事に実験台として亡くなっている。
私自身、何度も故人のモデルとなった。
親戚縁者もその対象者になった。(内緒だが・・・)
主人には5回程、モデルとして立派に死んでもらった。
リアルさを出すために、その度に本当のことを書き込む。
主人の性格やクセ、生き方等など・・・。
(開発スタッフには知るところとなるが、主人はそれを知らない。ご免なさい・・・)
喪主としての私の言葉には愚痴もある。
今だから明かすが、主人の性格の嫌なところも書いてしまった。
でもこれは、本当は生きてぴんぴんしているからこそ書けるのだろう。
もし本当に亡くなった時は、
涙と感謝の言葉が、何行も並ぶはずだ(と思う、絶対に)。

実家の両親もそのモデルにさせてもらった。
昭和の初めから平成へと命を紡ぎ生きた証が、
「FUNET」の追悼文となり出来上がったときには、
私はその命の存在の大きさに、改めて胸がジーンとした。
母は自分の文章を見て喜んだ。
でもちょっと良く書きすぎだから推敲させてもらうと持ち帰った。
父は「見たくも無い」と言った。
(それが普通かも知れない)
でも母は、父の「FUNET」の追悼文もこっそりと持ち帰った。
(よほどFUNETのコンセプトが気に入ったらしい)

昔から母と私はよく話をする。
最近は葬儀の話題もよく出るが、父はそれを嫌う。
80歳近い父が、いつまで元気でいられるかは分からない。
万が一の時、私が父の人生を振り返る時に、
どこまで知っているのだろう・・・といつも考える。
親であっても結構知らないことがあるものだ。
知らないことばかりというのも寂しいので、
暮れに実家で色々と聞き出した。

10代の若かりし頃、好きだったこと、
戦中戦後のゴタゴタから立ち直り
電電公社に就職して、母と知り合うまでのこと。
デート、プロポーズ、そして兄が生まれ、私が生まれ・・・。
私の中にいる父の記憶が、年代を経て一つに繋がった。
父は、とても嬉しそうに話してくれた。
(今なら父のFUNETは素晴らしいものが出来るだろう)

亡くした人を思い出す時に、その時代や場所に戻って互いの想いを
感じることが出来るだけでも、悲しみの気持ちは薄れて行く。
そしてその人は又、私の心の中で生き続ける。

「死」を考えるということは、「生」を考えることだという。
親の「死」を考えることは子供としては辛いことだ。
しかし考えてみて、初めてその命の重さに出会うことも確かである。
「FUNET」を通して、親との残された時間を大切に、
子供として出来ることをしてあげたいと、私は切に思った。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年01月04日 22:38

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