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2005年02月26日
昨日の続きだが、私は中学・高校の6年間を佐賀市内で過ごした。 遥か遠く懐かしい青春時代を暮らした、思い出深い街だ。 この世に誕生してからの12年間を筑豊の荒っぽい川筋で育ち、 後の18歳までを穏やかな佐賀で暮らしたことになる。 筑豊にはいまだに親戚も多く、福岡へ来た時には寄ることにしているのだが、 今回は久し振りに旧友に会おうと思い、佐賀を訪れた。
わざわざ10人ほどの同級生が集まってくれたが、 会った瞬間からチーズがとろけるみたいに過去へとタイムスリップする。 これ程わだかまりがなく、一気に『おい』『お前』で呼び合える仲間は 世の中にそうはいないだろう。 いい年のオジサンとオバサンが、当時のニックネームで、 「サルッパン」「シゲッパン」「ジェーンさん」「フジヤン」「トッチャン」 「ノブちゃん」「フジイ」「なんちゃってベッカム」などと大声を上げている。 (なんちゃってベッカムだけは当時のものではない) 傍から見たらお笑いだろうが、人生の中で誰しも忘れられない交点があり、 青春時代のそれは、深く刻まれて風化することがない。 人生の出会いとは、本当に不思議だ。 そして熱い数年間は、その後の人生に少なからず影響を及ぼしている。
【キャラクター紹介】 かつて東京で、『佐賀に帰りたかー』と涙ながらに嘆いていた「シゲッパン」は、 今では地元の高校で数学を教えている。(良かった)
ギターばかり弾いていた市会議員の「フジヤン」は、今でも選挙の遊説の際に たまにギターを弾くらしいが、ギターで世相を斬る事に掛けては、 波田陽区よりも自分が先だと・・・。(本当か?)
また米屋の主人の「なんちゃってベッカム」の軟派振りは群を抜いていて、 その後のクラブでの言動では、芸術の域にまで高めようとしているかのようだ。 正直に気持ちが透けて見えるタイプで良い奴だ。(そろそろ落ち着け)
「ジェーンさん」は相変わらずおしとやかで上品、声も良い。 きっと仕事が出来るだろうから近くに居たら秘書にしたいくらい。(ホント) 「ジェーン」の由来は英語の教科書の挿絵であり、今でも雰囲気がソックリだ。
「トッチャン」はいつもニコニコ優しさに溢れ、遊び好きだが人が好くて、 少し気が弱そうなところは当時のまま。(佐賀県民の典型かな)
呉服屋の若旦那「ノブちゃん」は世話好きで、口うるさいところもあるが、 佐賀城太鼓など地域の活動にかなり尽力しているらしい。(納得だ)
「フジイ」は大きな会社を継いで頑張っているようだが、竹を割ったように スパッといかず、小難しいことを未だに言っているのがおかしい。(昔のまま)
「サルッパン」は昨年会社を興したとかで、張り切っていた。 彼の奥様も同級生だが、何とか成功してもらいたい。(頑張れ)
今回は会えなかったH君は、『将来の夢は総理大臣』と言って生徒会長に 立候補したが、彼は今民主党の代議士としてテレビ等でお馴染みの顔だ。 テレビに出過ぎという声も聞くが、私はそうは思わない。 バリューの重みは一般に思われる以上に影響力がある。 がタレントではないのでそこだけは要注意だ。
そして最後に、恥ずかしながら当時私がお付き合いをしていた「ユカッチ」が 二児の母ながら健康で若々しさを保っていたのが嬉しい限りだ。
お付き合いなどと上品な言葉を使ったが、中学・高校の頃の私は、 まるで彼女の家の子供のようにかわいがってもらっていて、例を挙げれば、 朝学校へ行くのに寝起きで家を出て、途中で彼女の家で朝飯を食い、 『行ってきまーす!』と出たもんだ。(もう無茶苦茶) 帰りは帰りで晩飯を食らい、時にはお父さんと二人で白ワインを飲んだり・・・ ここまでくれば自分の家が一体どこなのか不明で、 彼女とも、そのまた2つ下の妹リカさんとも(とっても美人) 何やら3人兄妹のように暮らしていたのである。 そういえばこの家のソファで、よく昼寝をしていた。 男の子が居なかったので、まるで長男のように居座っていたのだ。 近所の人たちはかなり好奇な目で見ていただろうと思う。 本人たちはケロッとしているのだが、学校中の噂にもなっていたらしい。 笑い話だが、そのお母さんが 『井手君とユカッチが結婚したら、私は嫁いびりをする』と公言していた。 『自分の娘をいびるんかい!』とユカッチがよく怒っていたのを思い出す。 このお母さんがユニークな人で、ずーと自転車に乗れなかったのだが、 娘に教えられて乗れるようになると、わざわざ私の前を通過する時に、 自分は片手運転も出来るのだというのを見せたくて、何の脈絡もないのに 片手を離して運転していた・・・いつまでも子供のようなお母さんだった。 人生でこんなにお世話になったお宅はない。 私が結婚する時に頂いたお祝いの有田焼は今でも大切に使っている。 感謝するばかりだ。 後のことだが、娘二人が嫁いだ後も私はこのお宅に泊まったことがあるのだ。 (本当、考えられないね)
あれこれと酒を酌み交わしながら、暫し昔話に花が咲いた。 楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。 しかし会話の内容は、懐かしい話からやがて現実の話へ・・・。 仕事のこと、家庭や子供のこと、病気のことetc。 この年になれば、結婚式に呼ばれるよりも葬式の方が多いし、 そろそろ喪主を経験してもおかしくない。 病気の親を抱えていたり、現実に亡くなった友もいたり。 やはり相応の年齢になっていることに気付く。 だからこそ生かされていることに感謝をし、皆精一杯に生きているのだ。
久し振りに深酒をした。 綺麗なお姉さんの居るクラブからスナックまで飲み屋を何軒も梯子して、 おまけにラーメンもしっかり食べ、(幸陽軒おいしかった) 小雨降る佐賀市内でさらに飲み続けた。 これで二日酔いにならないはずがない。
目が覚めると窓から射し込む陽射しが眩しい。 具合は悪いが気分は爽快だ。 たったの一泊だったが、久し振りの佐賀滞在は充実していた。 それぞれが相応の年齢になって、仕事や家庭と頑張ってきたのだろう。 成熟した分だけ、温かい眼差しで相手を受け入れる余裕ができたようだ。 年を取るということは、今まで見えなかったものが見えてくる。 自分の身体のこと、仕事のこと、周りの人たちのこと、将来のこと、 残りの人生で、これから出来ることと出来ないことの分別がつく年頃になった。 諦めにも似た気持ちもあるが、しかし出来ないことが一つずつ増えていけば、 逆に大切なもの、大事なものもまた浮かび上がってくる。 本当に必要なものが見つかるようになるのは、 もっと年を重ねていけばいいのだろう。 年を取るのも悪くない。
この日東京は春一番が吹き荒れ、羽田着陸の際に飛行機が大きく揺れた。 二日酔いにこれは効くなあと思っていたら、後ろの席で吐いている。 揺れているからスチュワーデスは動けない。 つられて吐きそうになったが、我慢していると突然ドンと着陸した。 その後のゴーという減速する音。 なんだか一瞬のうちに現実に引き戻され、 頭の中は明日からの仕事のことで埋め尽くされた。
皆健康に気をつけて、大いに頑張ってもらいたい ! 佐賀弁が懐かしかった。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年02月26日 03:36
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