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| ウグイス嬢での怖~い体験!(藤田 順子) »
2005年02月19日
退院から2週間程が過ぎた。 さすがにこの2週間は体力も気力も無く、毎日を過ごすことだけで精一杯だった。 しかし人間の回復力というものはすごいもので、 そろそろ前を向いて歩いて行こうと思いはじめるものだ。 ようやくこうして入院の時のことを振り返ろうという気にもなってきた。 退院してからは寒い日が多かったが、昨日あたりからリハビリに散歩をはじめた。 普段は見過ごしている場所も、ゆっくりと歩くことで色々な発見がある。 ちらほらと梅の花が咲きはじめた公園。 噴水にもしばし足を止めて水の音に耳を澄ます。 街の中でもちょっと耳を傾けるだけで、普段は気づかない色々な音が聞こえる。
私にとっての入院生活は、プチ修行のようだった。 なるべく聞き分けのいい患者でいようとしたから、周りの人には結構気をつかった。 自分らしくとかリラックスなどはとても難しかった。 だからストレスもためた。 そんな中で、何が救いかというと、 まぎれもなく日々を共に過ごす看護師さん達の対応である。 その病棟には、それはかわいくてきれいな看護師さんが多くて、 まだ早いが息子の嫁探しでもしようかと思った程だ。
私の場合、今回の入院で最初にその病棟の看護師さんと出会ったのは、 手術を翌日に控えて微妙に不安な気持ちを抱えている時だった。 軽い問診だったが、その時の看護師さんの対応で、 その後の心地よさのすべてが決まると言っても過言ではない。 患者は弱者である。 病気というハンディを背負い、看護師さんには、頼りたい、世話をしてほしい、 すべてのことにおいて許してほしいと思っている。 病気治療なのだから100%自分の思い通りにならないことも知っているし、 辛い状態の中でもなるべくわがままは言いたくないと、気もつかっている。 だからその気持ちを理解してくれて進められる看護師側の対応は、 すべてにおいて私に大きな安堵感をもたらした。
最初に来て話をしてくれた方は、そっと私のベッドの横に来て、 「こんにちは」と声をかけた。 「今、少しよろしいですか?」 私の不安な気持ちをやわらげるような、声のかけ方だった。 いきなり患者の気持ちの中に入って行くようなことをしない、 ていねいなやさしさを感じた。 その第1印象で、私はここのスタッフにはすべてをお任せしようという気になった。
「ごめんなさいね」 「大丈夫ですか?」 「ちょっと、よろしいですか?」 「ありがとうございます」 「すいませんね」 「失礼いたしました」 「いかがですか?」 「申し訳ございません」 「お願いいたします」 「今、参りますね」
注射をするときも、血圧を測るときも、点滴を交換するときも、検温も・・・ いつもいつも看護師さんからは、上記のような 謙った(へりくだった)謙遜の言葉が出てきた。 謙遜の言葉が出て来るときには、必ずそこには謙遜の気持ちがある。 どういう言葉を話すかという言葉の種類はあまり関係なく、 今ここにどういう心があるか、どういう想いがあるかで、 その時に使う言葉は決まってくるような気がした。
病気の治療とは、病気そのものの医学的サポートと、 スタッフによる精神的なサポートの両輪があるようだ。 そして精神的なサポートは、もう一つの無くてはならない薬である。 これは何も、病院の中だけではなく、 すべての人と人が関わる場所で行なわれることでありたい。 私はそのやさしい言葉がけの中で、身も心も心地よく癒されていく自分を感じた。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年02月19日 03:43
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