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2005年02月01日

[FUNET]に、新コンテンツ誕生のお知らせ(井手 一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

その1
今日からFUNETに、
「MCライブラリ」という新コンテンツが誕生した。
葬儀司会実務を支援するための資料室のようなものだが、
発声練習の基礎から、敬語や忌み言葉や司会者のスタンス、
仏式(個人葬・社葬)・神式別のアナウンス文例、
5分.7分.10分と時間別に分類された長文のナレーションサンプル、
ナレーション文章作成のヒント、人柄・性格の言い回しサンプル、
そして様々な進行台本サンプルと実務で役立つ雛形、
さらに各宗派別の葬送儀礼(差定)サンプル、またお経・偈文・・・etc、
一応盛りだくさんの内容である。

FUNETのナレーションシステムは、故人氏名の入力のみで、
後はシステムに従い、生年月日・没年月日・年齢、
そして各ジャンルの文章を選択するだけである。
一つのナレーションを作成するのに数分しかかからない。
だが、オリジナルの文章を入力して作成する部分のフォローが不十分であった。
そこで、MCライブラリには、文章作成のヒントや長文作成例などが満載され、
マスターオブセレモニー(MC)としての葬送儀礼や進行台本まで掲載した。

しかし、これでもまだまだ不十分。
今後も少しずつお役立ちツールをデータ化して更新していきたい。
この「MCライブラリ」は、ナレーションシステムと同様に、
基本料金に含まれるので(課金はされない)、会社の資料としてスタッフが
自由に閲覧し、司会実務の向上に役立てて欲しい。
FENETがスタートして2ヶ月以上が過ぎたが、
今後も、さらなるシステムの向上に努めたい。
また、つい先日、追悼文の背景画像も2つ追加したが
追悼文左下の[FUNETのロゴ]についても、
「扱いづらさが否めない」という会員の方からの要望に応えるべく、
削除の方向で作業を進めているところだ。
近いうちにこちらもアップしたい。
それから、2月プロローグ文章も更新しています。
併せてご覧ください。

ところで、
閲覧解析結果では、皆さん無料サンプルを圧倒的に見ているんですよ。
『・・・ケチケチせんで買わんかい!オラオラ』
(誰に言ってるわけじゃありません、独り言です)
今後も会員の方の迷惑にならない程度に掲載しますよ。

その2
昨日、加藤が無事に退院したようだ。
(良かった良かった)
エッセイは書き貯めしてたので、このコラムには登場していたが、
実は一週間ほど入院していたのだ。
今後は1ヶ月ほど自宅で静養しながら、葬送BGM製作の最終段階を迎える。
(弊社は、ただで休ませたりはしないのだ)
暖かくなる頃には、完成する予定。
だから最近・・・事務所がとても静かだ。
『パソコンのあれがわかんない、これ、教えてー!』
かと思えば、キーボードを引っ張り出して、
『さあ、いくわよー!』
と、弾き語り演奏会が始まることもあった。
元気になれば、我慢できずにまた唄いに来るだろう。
静かな環境で仕事に専念出来るのも一ヶ月か・・・
その間に(鬼のいぬまに)たっぷりと英気を養おう。

その3
声明(しょうみょう)の練習で喉を痛める日々が続いている。
譜割りの難易度もさることながら、ブレスが難しく、
ひょっとしたら、「ラ・マンチャの男」よりも上かな?
と、思ってしまうほどだ。(そんなことはないだろうけど)
実は2年前の葬祭ビジネスフェアの講演の時に、
喉を痛めて声を枯らしていたのは、風邪を表向きの理由にしていたが、
本当はあの時も声明の練習で喉を潰していたのだ。
さて今年はどうしようかと思っている。
このままだと、また完全に喉がいかれそうだが、
何せ4月以降のスケジュールが殺人的で、
またプチ家出状態になるかもしれない。
身体を壊しては元も子もないので、ノンビリやろうと思っている。

その4
誤解を恐れずに、最近の私自身の仏教に対する想いを少し書こう。
シンプルに書いて、到底理解していただけるとは思わないが、
ごちゃごちゃ書いても余り変わらないだろう。

仏教は道徳論とは、明確に一線を画す。
わかり易く極論すれば、親孝行という考え方は、仏教ではない。
親を敬い大切にすることは大賛成だが、これは仏教ではない。
親に限らず、山川草木(さんせんそうもく)命あるものを
大切に思うのが仏教である。
因みに、「父母恩重経」(ふもおんじゅうきょう、と読みます)という
お経があって、禅宗系の僧侶がたまに通夜・葬儀で読誦されているが、
どうしてこのお経をと、頭を捻ってしまう。
このお経は、擬経(ぎきょう)であり、中国で創作されたものだ。
いうなれば、プロのシナリオライターが書いた、良く出来たニセモノである。
話を元に戻せば、私は通夜や法事の法話で、
安っぽい道徳論を振り回し、聴衆の人気取りをしている僧侶が大嫌いだ。
『いいお話だったわね』
『ありがたかったわね』
というのは、困ったものだと思っているのだ。
実は、僧侶にも法話のネタ集が販売されていて、似たような話、
または同一の話を良く耳にしてガックリきている今日この頃である。
(法話集が弊社にもあるのです)
あれならいくらでもネタはある。
プロのライターにでも依頼すれば、容易く書けるだろう。
そもそも仏教そのものを話さない(話せない?)のが、納得がいかない。

それから、合格祈願、病気治癒祈願などの、現世利益の類も仏教ではない。
(ごめんなさいね、実際にはこれをやってるお寺が多くて私は残念なのですが)
例えば困難にぶつかって、何かに縋ってこれを回避し、
幸福になるという発想は仏教ではないのだ。
仏教は、困難を受けとめ、その中で力強く生きていける教えのことである。
(だって無常の意味がないじゃん、それじゃ)

そもそも仏教は、ある共通性を持つがゆえに、宗教に分類されているけれど、
一般に神と呼ばれるもの、あるいは人間を超越した何かと、私自身という
二元性ではないのだ。
仏と私自身ではなく、私自身が仏になる教えなのだから、
一元性である。
これは果たして、一般に思われる宗教と同じだろうか?
と考えることが多くなった。

では何故、ここまで仏教が誤解されているのか、
あるいは何故、現状のような認識なのだろうか。
国内において、諸派に分かれているため、仏教内の横ばかり見て対峙し、
そもそも宗教という言葉・概念と戦う発想すらない。
非常に残念である。
屁理屈を言うなら、もともと[religion]の和訳は「宗旨」であった。
(仏教は大前提だったのです)
それが明治になってから「宗教」となったのだ。
確か、福沢諭吉ではなかったろうか。
(私は福沢諭吉さんとはどうも縁遠いので文句を言っても良いと思っている)

とまあ一気にここまで書いたが、愚痴でもあるし、腹の中に貯めておこう。
(福沢諭吉さんは貯まらないけど)
いずれ機会があればお話したい。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年02月01日 22:08

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