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2005年03月05日
今、春頃に発売予定の葬送BGMの作曲に入っている。 身体のこともあり随分遅れてしまった。 企画者の井手は結構焦っていると見えて、さりげなく催促をしてくるが、 こういうものは、それはそれなりに・・・いい意味で溜まったものが出てくる と確信しているので、私的には全然焦っていない。 2年前の今頃、葬送BGMの第1弾を作らせてもらった。 あの時は初めてということもあり、20曲の作曲には結構力が入った記憶がある。
私は長いこと葬儀の現場にいる。 最初の頃は誰でもがそうだが、その現場に慣れるだけで精一杯。 必死で周りの動きに着いて行こうとしていた。 やることが出来なければ使いものにはならないわけで、 やることを覚えるだけで1年くらいは、あっという間に過ぎた。 そしてその内、やることを覚え、動けるようになり、 私らしい形で、私なりのホスピタリティで、 自信を持ってお客様に接することが出来るようになった。 そこまで3年はかかった。 何事にも順番がある。 1回1回を大切にこなして行くしかない。
年月が経つ内に、現場での言葉も、動きも、形も、 お客様への接遇に、余分なものが無くなって行くことを体験した。 余計なものが省かれていく。 葬儀の現場は、言葉も動きも、最小限でいい場合が多い。 お客様の気持ちこそが生かされていれば、あとは支えてあげるだけ。 時には言葉も動きも一切必要無いという場面にも出会った。 そして、省かれた部分には多分「心」が入って行くのだろう。 1本通った「心(気持ち)」さえあれば、余計なことは必要ないのかも知れない。
葬儀のBGMも同じだ。 葬儀では、出来れば言葉も音楽も「最小限」がいい。 そこでは「悲しみ」という感情に向き合う人々が 「共に悲しみ合う」ことが基本だから。 そういう意味で、葬儀のBGMを追及してきた私は、 現場でナレーションを読む時も、スタッフとしてそこにいるときも、 もっともっとシンプルな音楽が欲しいと思ってきた。 今回の作曲は、インストロメンタル的なシンプルなものになるだろうと思っている。 私なりの葬儀への「想い」、悲嘆のお客様への「想い」を、 1本通った「心(気持ち)」で届けたいと思っている。
《井手の割り込み》 最近このパターン気に入っています。 楽してちょこちょこ出れるでしょう。 (アホか俺は) 昨日加藤の新曲10曲聞きました。 偉そうに少し手直しを指示しときました。 一応プロデューサーらしく振舞わないとね。 曲は前回の葬送BGMを踏襲しています。 どれも現場で使いやすい曲調に仕上がりそうでひと安心。 今月末にはレコーディングだー! そのうちサンプルを流します。 乞うご期待 !
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年03月05日 03:31
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