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2005年05月09日
最近、私の学友たちがソワソワしている。 学友といっても私が最年少であり、周りは皆人生の諸先輩ばかり。 中央仏教学院の通信だが、毎月2回ほど築地別院(築地本願寺)で 仏教の勉強会に参加している仲間だ。(現在3年次である) 私のクラス、専修課程は僧侶になることが前提のようなもので、 事実、私以外の全員は(といっても入学時の3割しか残っていないが)、 皆さん僧侶として活動することを希望しておられるようである。 (実は既に僧籍を有する方も、一緒に学ばせてもらっている)
ところが、僧侶としての資格を有するのは実際にはそう簡単ではない。 無事卒業し、晴れて得度するためには、 どこかの寺院に僧侶として属することが決まっていなければならない。 が、どこの寺院の住職も(仮に大変親しくしていたとしても)、 なかなかハンコを押してはくれないのだ。 在籍僧侶を増やせば、それだけ本山への負担金(冥加金)も増えるし、 実際にそんなに[仕事・実務]がないのも事実である。 また、いずれ独立されると懸念すれば(確立は低いと思うが)、 ライバルを育てるようなものと考えられなくもない。 宗派を広めるという布教はしたいが、不況には勝てず(低レベルでごめん)、 実際の生活と理想との間で悶々としているようだ。 しかし私が思うに、本来僧侶というのは職業ではないだろう。 生き方そのものを問われるものだと思っている。(カッコイイー) (まあ現実問題として、こんなことを言ってもはじまらないけど・・・)
流石(さすが)に卒業間近になるとこんな話が講師から出てきた。 真偽の程は定かではないが、確かある統計によると、 檀家数(真宗では門徒数)35に対して1年間に1件の割合で、 お葬式が発生するデータがあるという。 ならば350の檀家で年10件の葬儀、1.000の檀家で年28.5件の葬儀。 私は、そんなに多いだろうかと疑問に思ったが、 講師の言わんとするところは、 甘い考えで僧侶になったとしても、食っていくのは大変だよと・・・。 (その通りだろうと思う)
葬式坊主と揶揄されることに対して、僧侶は苦虫を噛み潰した顔をするけれど、 少子化が進む現在、事実として寺の経営は逼迫しているところが多い。 葬式頼みの感は否めないのである。 (これもあやふやなデータだけど、寺の収入の約7~8割が葬儀関連とか・・・)
そしてこの春先、宗会議員選挙があり(僧侶の選挙だと思ってください)、 東京のとある立候補者の面白いキャッチフレーズ。 【50年後、あなたのお寺はありますか!】 これは素晴らしいですね。(この候補者は落選したそうですけど) 葬儀業界にも同じことが使えそうですよ。 【50年後、あなたの葬儀社は存在していますか!】 否、 【10年後、あなたの葬儀社はまだありますか?】 葬儀業界に限らず、何にしても厳しい世の中である。
先日「法話実演」の講習で生徒の発表会があった。 本番の試験前に、一度法話の実演を体験し、 講師からアドバイスを頂くのである。 (どことなく葬祭ディレクター試験対策みたいでワクワクした) 私も法話の実演を体験させてもらったが、これがなかなか難しい。 5分という限られた時間がとても短いのだ。 (時間無制限一本勝負なら少しは自信があるでえ・・・ここは腕まくり)
更に私は真宗の常套句「罪悪深重」「凡夫」などの言葉は使いたくないのである。 (【ざいあくじんじゅう】・【ぼんぷ】と読みますよ工場長) 一般の人に、誰にでも分かる優しい言葉で言うべきだと、 生意気にも考えているので、自分流の別の言葉に変えてみた。 例えば「凡夫」は、「愚か者」あるいは「馬鹿」である。 罪悪深重なんて言葉は、はなから使う気がない。 採点を意識して、流石に馬鹿は止めたけど、小難しい話は一切なし。 時代も聴衆もそんなことは求めていないでしょう。
で、講師の評価が気になるでしょ・・・ 誉められましたよ、人前で喋るのに慣れてるって・・・面白いね。 (因みに講師は私の職業をご存知ありません)
噂によると、瀬戸内寂聴さんに3.000人集まるんだよね。 (確か秋田で禅宗のお寺のご住職を務められているかと) 今の真宗で、これだけの人数を簡単に集められる僧侶がいらっしゃいますかね。 相手は半ばタレントで作家だから・・・とか言う人がいますけど、 いいじゃないですか、魅力があるから人が集うんです。 それに仏法の話を全然しないわけではありませんからね。 我が真宗にも、こういう人が出ないかなあと羨ましく思います。
ところで私の卒業はどうも難しそうである。 例えば真宗教団の発展の歴史の中で、中興の宗主、蓮如上人以降の 劇的な展開をどう見るかにしても、私には蓮如上人が男13人、女14人と 27人の子沢山に産み分けた事実を面白おかしくしてしまうクセがある。 (子供たちが全国の寺に教団統制という目的で散りました) さらに石山本願寺と信長との10年以上に渡る戦闘の歴史。 戦いのプロである武士に対して、アマチュアの農民主体の戦団。 この時に使われた「進めば極楽 引かば無間地獄」の幟(のぼり)は、 (逃げて地獄へ落ちるより、戦って死んで極楽へ行くという モチベーションの上げ方は) 武将化した一部の門徒の一つの戦略的方法論だったとしても、 先のオウム問題でポピュラーになった「無間地獄」という脅し文句が、 すでに中世の頃に使われていたという事実に、私なりに思うところがあるのだ。 (要は皮肉れ者なのです)
いや、言い訳はよそう。 屁理屈をこねてもしょうがない。(本当は思いっ切りこね回したいけど) 正直、勉強不足なのだ。 また僧侶になることを前提としていないので、追試を受けることもないだろう。 でも本当はお葬式で導師を務めて、 一度は打合せで「先生」と葬儀社に呼んでもらいたい気もするのだ。 そんな時は普段の反動で、思いっ切りふんぞり返って、 一度位は反り返りすぎて後ろにバタンとコントみたいに倒れてみて、 そして我が世の春の如く我儘を言ってみたい。 今、アラジンが魔法のランプから飛び出したら、間違いなく一つ目のお願いだ。 (ランプから飛び出すのは魔人か、シャザーンだったね・・・古っ)
「リンの位置を3センチ右にずらしといて」とか、 「告別式の意味が私にはわかりません」とか、 「弔辞という言葉は使わないでください」とか、 「40分でお願いしますとは大変失礼ですねお宅は、勉強してますか?」とか、 「帰りはハイヤーを手配しといてください」とか、 「時間がなくて火葬場には付いて行けません」とか、 「ビールは恵比寿が一番ですね」とか、 もう数え上げたらきりがない。 日本一たちの悪い坊主になりそうである。 しかし、もう一年ほど在籍させてもらって、 少しでも学ばせていただこうかなと、殊勝にも思っているのだ。
〈井手の割り込み・・・という名の言い訳〉 私は留年という言葉にとても慣れ親しんでいる。(自慢にならないが) 大学でも留年しまくって、最後は事務のおばちゃんと親しくなっていた。 当時は芝居に夢中になっていたから、体育の0.5という単位が取れず(出席不足)、 講師に相談したらバスケットの試合に出れば単位をくれると言うではないか。 『でます』と即答したけど、その日は私が主役を務める舞台の日であった。 昼の部の芝居がはねた後、舞台衣装のまま速攻で会場に駆けつけた私は、 メイクも落としていなくて、(舞台メイクはちょっときついんだよね) ブルーのシャドウにグリーンのアイラインでバスケットの主将を務めた。 (この主将というのがいいでしょ) 因みに、ブルーとグリーンのコントラストは、 状況劇場(紅テント)当時の根津甚八さんのメイクを真似たものです。 (メイクは真似ても名句は真似できず・・・残念!・・・またまたごめん)
通常体育の単位は1~2年で取るから、私の周りの学生は4~5 歳年下だ。 すっかり親分気取りで、相手ゴールの下付近でウロウロしながら、 それでも単位を取得するために、目立つように指示・命令の大声を張り上げ、 チャンスでは全部いいとこ取りで、大活躍したもんさ !
お陰で、顔は汗とメイクが混ざり合ってヨレヨレ、 それはそれは見るも無残な形相に変貌をとげていたが。 てなわけで、一般教養の体育だけは単位取得が叶いましたが・・・
・・・そんな努力の甲斐もなく(トホホ)、 何年も留年した経験を持っているのだ私は。 (どうだ、参ったか! 今日はこの辺で勘弁してやろう) ではまた。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年05月09日 10:15
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