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2005年07月15日
京都から福知山に至る鉄道は、まだ田舎の雰囲気がある。 急用だったので特急指定席を購入したが、 その席に全く知らないオバちゃんが集団で座っていたりする。 ルール無用というか、不要なのが、田舎のルールなのだ。 乗客が少ないのが、せめてもの救いである。
平日の昼だった。 親戚から電話が入り、祖父が倒れたことを知った。 親戚の声が上ずっていたので、私も動揺した。 社長に連絡を取って休暇をもらい、祖父の家に急行した。 …しかし、東京から京都に向かう新幹線で、残念な連絡が届いた。
私は祖父母っ子で、幼少の頃は祖父母に育てられた。 両親と祖父母の家が遠かったこともあり、 祖父母の方を親だと思っていた時期もあった。
大切な人が亡くなるということは、精神的に落ち込む。 祖母が亡くなった時もそうだが、 それから何年か経過しても、悲痛は変わらない。 仕事で葬儀に関わり始め、初めての身内の葬儀であるが、 どの遺族も人の死を前に特別な心境になるだろうことを再実感した。
喪服も持たずに田舎に戻ってきたが、 祖父母の家に入ると、早速、住職や隣保、葬儀屋の人がいて、 打ち合わせが始まっていた。 祖父の顔を見た後、私もそれとなく聞いていたが、 (もちろん、私が葬儀を知っていることを誰も知らない。) 田舎の打ち合わせの典型だろうか、議論はしても話は進まず、 無駄な時間が何と多いことか…。
隣保の人(隣保とは、町内会の発展したようなもの)が、 住職を立てて、住職を中心に話を進めていたが、 住職は戒名に院号を付けてはどうかとか、商売絡みの話をするものだから、 まったく、両手で口を塞いでやりたい気持ちだった。 (ちなみに、祖父は生前に戒名をもらっている。) 葬儀社の人は、ヘイヘイ言われることに頷くばかり。 案の定、葬祭ディレクターなるものは所持していない。 おそらく、全体的には隣保の人が仕切っている感じなのだろう。
私は隣保の人のみ(変な注文をしないか)意識していたが、 差し障ったことを言うことはなかった。 ただただ、田舎の葬儀は高い。 (隣保の人が仕切るから、付き合いのこともあるし、余計にそうなるのだろう。)
翌日の通夜、ちょっとした事件が起こった。 祭壇の準備中に、花の基数と札の数が合わなかったのだ。 葬儀屋の人に、それとなくどの段階で問題が起きたのか聞いてみた。 彼は注文はコンピュータで受けているから、うちでは間違いないという。 花屋にも、どういう内容の注文を聞いたか、それとなく聞いてみた。 緊急で注文が入ったかも知れないが、詳細はわからないという。 うーん。参った。
おそらく、葬儀屋の人の受発注ミスなのだろう。 しかし、この方は、なかなかミスを認めない。 (そういう所は、どうして強気になれるのだろう。) 少し口調をきつくすると、腰が痛いとか言い出す。 困ったものだ。 最終的に、花をもう一基持ってきてもらうことで問題はなくなったが、 問題の原因は究明できず。というか、究明させず。
ちなみに、この葬儀屋の方は司会もされるそうで。 まったく期待していませんでしたが、 演歌のような司会でした。 …。 悲しみの場で、遺族席に笑いを起こした点は、評価しましょう。 あと、一生懸命だった点。 あと、一度研修に来てください。
話が逸れたが、 祖父の通夜は、その後は順調に行われた。 順調なことほどエッセイにはならない。
葬儀は、浄土真宗(檀家)の住職3人、 曹洞宗の住職(祖父が親しかった)2人の、 計5人でお経を唱えてもらった。 曹洞宗の住職は祖父の希望でもあったし、満足しているだろう。 おじいちゃん、ありがとう。
PS.身内の葬儀があると、葬儀の見方が変わりますね。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年07月15日 00:41
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