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2005年07月03日

いくつになっても同級生!(加藤直美)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

先日高校のクラス会があった。
高校は水戸だったので、東京支部というのがある。
(私はそこの支部長とやらになっているらしい)
埼玉県在住1人を含め8人と、時々地元からも何人かが駆けつけて、
都内のおしゃれなレストランに集う。
よく行っていたのは四谷にある「オテルドミクニ」。
個室を借りて美味しい料理を堪能する。
デザートまでたっぷり2時間あまりを、食べているのか
喋っているのか飲んでいるのか分からないくらい盛り上がって終わる。

この高校時代はかなり特殊で、県立の女子高に「普通科」「家政科」
そして私たちの「音楽科」があり、音楽科1学年定員30人が、
入学してから3年間勉学を共にする。
もちろん音楽科というからには全員が専門を持ち、
ピアノや声楽、フルート、バイオリン、クラリネット・・・などの
専門的な訓練を重ね、勉強も両立させながら、
30人がずう~っと一緒というスゴイ青春時代だった。

1週間の中で半分は専門の音楽教育の時間である。
いかに音楽漬けの幸せな3年間であったか今更ながら幸せを感じる。
高校卒業後は、それぞれが音楽大学、
もしくは一般大学の教育学部などへと進学しその後も音楽を続けた。
現在、私を含め彼女たちは子育て真っ最中。
下は小学生から上は大学生まで。
子育てをしながらも、ピアノの先生や
音楽関係の仕事で活躍している精力的な仲間たちである。

皆が忙しいのでなかなか会うことはできないが、
年に1回程度のお食事会と数年に1回の旅行をしている。
この年になっても会えばすぐにあの頃のあだ名で呼び合う。
よっこ、イゴ、かめ、マリちゃん、アッコ、ゆみちゃん、ゆうじろう
(本当は祐子さん。このあだ名は私がつけたらしい。未だに恨まれている)
そして私はナオ。

2年半前には、日本一予約が取れない国民宿舎「鵜の岬」に行った。
その時も私は裏幹事。
(本当の幹事はいるが、私が裏で細かいことを仕切っていることが多い)
で、私はこの国民宿舎の予約を取ることに「命」をかけた。
東京からは私が、東海村からは叔母が、盛岡の兄宅に遊びに行っていた母も、
2時間以上「鵜の岬」に予約電話をかけ続けてくれた。
宿泊半年前の月の朝9時からの予約を取るために
全国の「鵜の岬ファン」が殺気立って電話をかけ続けるらしい。
結局は盛岡から電話をかけていた母が、15人分の部屋と宴会場を取った。
(さすが我が母である!)

私は仕事柄、全国へ出張という形で出かける。
1泊でも家から出て家族と別に過ごすことは私にとっては、
ある意味リフレッシュでもある。
家庭にすっぽりとはまっている高校時代の友人達を
外へ連れ出したいという気持ちもあった。
土日で友引をはさむ日を前もって調べて、私は行動を起こしたのだ。
結果クラスメート30人の半分が参加!
結婚して初めて一人で外泊をしたという友人もいて、
驚くと共に、そういう生き方も素敵だなと思った。

さて、今回はそれから3年後となる来年の5月(もちろん友引をはさむ土日)
箱根方面への旅行が決まった。
幹事はアッコと文香。
もちろん私は裏幹事として、すでに新宿の小田急観光で
お得な宿泊プランを探しはじめている。
主婦だって、1ヶ月に¥2000程度を1年間貯金すれば、
「お土産付美味しい料理付温泉付楽しいクラス会旅行」が出来るのだ。
「主婦よ!もっと外へ出よう!!」
(私は「外へ出過ぎ!」と言われます・・・)
という訳で、多分還暦になっても、ナオ、アッコ、マリちゃん・・・
と呼び合って付き合いを続ける私たちでしょう。

  

今回は、ミクニの予約がとれず、吉祥寺のいつものレストランで
お昼のコースを戴きました。
食べる前のお写真だけで失礼いたします!

  


<井手の割り込み>
皆さん、こういうおばちゃんの団体に遭遇した時は、
今日は運が悪かったと思ってあきらめましょう。
多少うるさくても、騒がしくても、じっと我慢しましょうね。
そしてなるべく関わり合いを持たないようにやりすごしましょう。
目なんか合わせたりしたら、絶対ダメですぞ!
・・・これも人生を楽しく生きるための一つの方法ですから。


<加藤の追記>

くしくもその高校時代に、3年間ずっと担任だった先生が、
昨日亡くなったという連絡が入った。享年82歳。
その頃にはめずらしく、女性で東京芸大を出て、
生涯をピアノの教師として生き抜いた。
音楽高校では、本当に多くの生徒を音楽の専門家として、
また、一人の女性として育てた。

その人生を振り返るときに、
はじめて私はその恩師の偉大さを感じている。

高校生といえば、多感な年頃・・・。
女子校という特殊さもあって?私たちは随分やんちゃだった。
・暑い夏は、目の前に男性教師がいようとも、
 セーラー服のスカートをまくしあげて、パタパタと風を起こす。
・週の半分は音楽の専門授業で、自由な時間も多く、早弁は当たり前・・・。
・生物の授業中に、ストーブで焼き芋を焼く。
・合宿での夜中の脱出は、「当たり前!」
・私は遅刻すれすれの日々、先生とは毎朝階段の下で出会う。
 負けるもんかと2段飛ばしで3階まで駆け上がるのは、いつも先生の方。
 (この頃先生は50歳は過ぎていたと思う)
 タッチの差で私は遅刻になる。

数年前のクラス会で先生の喜寿を祝った。
うれしそうな笑顔が今でも忘れられない。
私の結婚式にも出席していただいた。
長男が生まれたときには、先生の自宅に見せに行った。
最近は随分お年を召して、お嬢さんと一緒に住んでいらっしゃるという話しを
クラス会でもうわさしたばかりだ。
音楽の楽しさ、厳しさを教えてくれたのも、先生だった。
私は人生の中で、初めて恩師を見送る。
親を亡くしたような辛い悲しみを感じている。

吉水先生。
ご主人様のいらっしゃる天国で、どうか安らかにお眠りください。
合掌

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年07月03日 11:09

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