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2005年08月24日
久し振りに、アシスタントレディの仕事をさせていただいた。 「無宗教で行なわれるお別れ会」 春頃からずーっと研修会の仕事が続いて、頭脳労働が多かった。 私はどちらかと言えば体を使うことが好き。 「葬儀司会」と「アシスタントレディ」の仕事を選べるとしたら、 迷わずにアシスタントレディをとるだろう。
レディの仕事をはじめたのは8年程前、派遣社員として現場に出始めた頃だ。 東京ではもう何年も前から、葬儀の現場に 派遣社員が入ることは当たり前の世界となっている。 中には、担当者以外は全て派遣スタッフと業者という葬儀社もあるようだ。 すべて派遣に頼りきりの現場もある。 これがいいとか悪いとかではないが、その派遣社員の技量で、 良くも悪くも葬儀そのものが遺族に評価されているということも言える。 極端な例ではあるが、いい加減な派遣社員に やりたい放題なことをされている葬儀社もあるらしい。 (知らないということは恐ろしい・・・) 派遣社員の技量を見抜けない葬儀社は、もしかしたらそういうことにもなりかねない。
私自身は葬儀の現場で、返礼品業者・レディ・司会者という段階を踏みながら、 多くの葬儀社の現場を通って来た。 そして、私たち派遣社員に多くの仕事をさせてくれる葬儀社でこそ、 大いに鍛えられたと言っても過言ではない。 「こんなことは、葬儀社の社員がやることでしょ」 「私たちに仕事をさせて、自分たちは奥でご飯を食べている」 「こんな重いものを女の私に持たせるの?」 「後はよろしく!と言って、担当者が帰ってしまった」など等、 派遣社員であるからこその大変さ、辛さ、孤独感、責任感・・・ を味わえば味わうほど、私は張り切った。 「この私に出来ないことは無い!」 「降りかかって来たことに、不可能は無い!」 と言わんばかりに頑張った。そして今の私がある。
特に、無宗教葬などは大変だった。 遺族が難題を持ってくれば来るほど、担当者がその葬儀にこだわればこだわるほど、 周りのスタッフは仕事の量が増え、試行錯誤を求められる。 その葬儀を支える周りのスタッフにとってはすごく大変な仕事になるということだ。 「いつもの感じで」とか「この間のような・・・」という言葉が まったく通用しない特殊な葬儀は、何度お手伝いしても、 常に新しいことが次から次へと求められる。
今回の現場では、3人分の仕事が私を待っていた。 レディとしての葬儀の仕事はもちろんのこと、 司会者や業者との細かい打ち合わせや段取り作りに加えて、 式中の音楽10曲分の音響演出。 指定された曲がCDの何曲目に入っているかを確認して、 1曲ずつの演奏時間やフェイドインの場所を決める。 「式中のBGM」と「献奏」の違いをボリュームで変化をつけて、 司会者言葉のきっかけを待ちCDのスイッチをONにしてから、 おもむろにレディとしてのサービス位置へ向かう。 そして終われば速やかに戻りCDをフェイドアウト・・・。 通夜が終われば、食事会場のセッティングと飲み物などのサービスや お客様への様々なおもてなし。 こんなに多くの仕事をレディがするのかと驚いたが、 現場とはそれらの仕事が完璧にできて当たり前の世界。 又しても随分鍛えられた。 そしてレディであろうと、司会者であろうと、 トータルでお客様をおもてなしする大切さを改めて感じた。
様々な葬儀の現場で、様々な担当者の下で、その感性を形に変えて表現する アシスタントレディの仕事が私はとても好きだ。 様々な現場で、個性あふれる担当者のサポーターとして、 いつでも私自身の技量が試されていると感じる。 常にニュートラルな気持ちを持ち、 クールヘッド(冴えた頭)とウォームハート(暖かい心)が求められる 葬儀の仕事の素晴らしさを実感している今日この頃だ。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年08月24日 14:05
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