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2005年11月24日
神道の司会に少しずつ自信が持てるようになりました。 神官さんの動きもよく見えるようになり、打ち合わせのコツも分かって来た。 アナウンスのタイミングは、神官さんによって多少違います。 やはり打ち合わせが、大切ですね! そして今回の祭壇は、神道には珍しく白菊による花祭壇との和洋折中でした。
故人は、ある新聞社の重要ポストに就く働き盛りの44歳です。 社葬に限りなく近く、仕切っているのは会社サイド。 部長クラスでも私と同年代、実力社会なのでしょうね。 職業柄か、即決する決断力には目を見張るものがありました。
例によってナレーションは【FUNET】で6分くらいのものを作りましたが、 事前に見てくださったのは新聞社の政治部部長さん。 渡した瞬間にあっと言う間に2枚目に進み、 「えっ?ほんとに読んでくれているのですか?」 と問いかけたいくらいに早読みでした。 「はい。これでOKです。よろしくお願いします」と、 「あっ・・はい。」とあっけにとられる私。 たぶん新聞記事を読み慣れているのでしょう。 それにしても【FUNET】の文章力は凄いかも・・・ (相手が活字のプロで直しゼロだもんね、エヘヘ)
弔電もダンボール1箱以上ありましたが、選ぶのも早くて助かりました。 故人は政治部に在籍されていた事もあり大物政治家からの弔電がほとんどです。 「キリがないので、10通ほどにしましょう」 と即座に選別されていく山のような弔電たち・・。 この決断力と行動力は、時を争う新聞社ならではの習性なのでしょう。 自分の責任において決断する思い切りの良さと、 しっかりと管轄が決まっている段取りの良さ。(凄い) 司会者としては、何よりも助かります。 (それに皆、仕事が出来る紳士風で素敵な人が多かった。)
今回は、弔辞が素晴らしかった。 1人目の弔辞は、私がナレーションを見ていただいた政治部の部長さん。 職業柄、文章が上手いのは当然かもしれないが、 加えて読みも驚くほど上手かった。 切々と自分の想いを語り・・・ その後に麻生太朗外務大臣よりのお手紙を長々と代読していた。 麻生太朗衆議院議員とは、私は選挙のウグイスとして 宣伝カーに同乗し演説も聴いたことがある。 本人の演説も、聞く者を引き込む力強さがあり聴衆を魅了するが、 弔辞者の代読も読み・問いかけ・共に抜群で皆が涙していた。 この弔辞者は、普段から演説などを聴き取材をされてきたのだろうから、 上手いしゃべり手の話し方のツボや落とし所を掴んでいるのでしょう。 私に代読が来なくて良かった・・・ 余りに上手いから次の弔辞者が気の毒だわ・・・等と 要らぬ心配をしながら次の弔辞者の名前を読み上げた。
友人代表 ○○○○様。 ―――――間を置いて静かに弔辞が始まった。 「・・・はっ?上手い。物凄く。」 友人代表と言うけれど、ご職業は?と聞きたくなるほど、 2人目の弔辞者も聞くものを惹きつけた。 恥ずかしながら、私も泣いてしまった。 (弔辞を聞き泣いたのは初めてだ) 物静かに優しく問いかけるように想いを述べ、 死に際に会いに行ったが間に合わなかった無念を力強く語り、帰りの車で偶然 ラジオから流れた<ケツメイシのさくら>の歌詞を一部朗読し締めくくった。 もうこの2本の弔辞だけで皆の気持ちは、全員故人に向かっている。 司会者としては、この雰囲気を崩さずに出棺まで持っていけばいいのだ。
そして、お別れのシーン。 44歳の故人には、まだ両親がご健在で九州から上京していた。 逆縁で息子を先に亡くした母親の気持ちは、 想像しただけで胸が締め付けられる。 ハンドタオルを常に目に押し当て、 嗚咽を押さえ続けたお母様の我慢の糸が切れた。 亡き息子にしがみ付き、泣き崩れる母。 棺の蓋を閉めることが、出来ない。
しかし「お名残は尽きないとは思いますが・・・」 タイミングを見ながらアナウンスするしかない。 こんな時は、因果な仕事だなとつくづく思う。
悲しい葬場祭だった。 このごろだいぶ涙を我慢できるようになったつもりでいたが、まだまだだね。 この葬儀社さんでは、今日は10歳の子供の通夜があるそうだ。 こちらサイドも精神的に参らない様に悲しみをケアする対応は、 本当に難しいものです。 せめてその場の雰囲気をぶち壊すような、 心無いアナウンスだけはしないように心掛けたいものです。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年11月24日 13:11
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