« 5年日記~10年日記へ(加藤直美) |
メイン
| 今年の不運の話でも・・・(井手 一男) »
2005年12月21日
4年程前、夏休みを利用して行ったハワイ、マウイ島。 ラハイナ発、ラナイ島への一日ツアーに申し込んでいました。 そのとき、キヘイに滞在していたので早朝車を飛ばし ラハイナの桟橋まで行きました。 船に乗り込みいざ出発。 朝のクルージングは気持ちがよく最高のお天気の元、 朝食を食べながら到着を待っていました。 ラナイ島が見えてきた! しかし島の桟橋に近づいてから、なかなか接岸できずにいました。
約30分格闘の後 「今日は風がつよく接岸できないためツアーは中止です」とのアナウンス。 「ここまできて残念~」そのままラハイナにUターンしました。 私達は翌日に振替えましたが、観光客の多いこの商売。 予定の合わない客にはツアー代全額を全額返金してました。 朝のクルージングと朝食が無料で体験出来たと同じ。 さすがハワイ人。 太っ腹だ・・・と感心しました。
そして翌日。 私達は寝坊してしまい、コンドミニアムを出発する時間に目覚めたのです。 青くなって顔を洗っただけで出発。 慣れない町を猛スピードで走りました。 ギリギリセーフでなんとか間に合い乗船。 昨日と同じようにゆったりしたクルージングが始まり、 朝食をとりながら到着を待ちました。 ところが今日も接岸にそうとうてこずっている様子。 嫌な予感は・・・・・的中! 今日もツアーは中止。 そのままラハイナにユーターンしました。 太平洋の自然は容易に人を受け入れてくれないんだと、 あらためて驚異を感じました。
結局私達も予定が取れなくなり止む無くツアーをキャンセルしました。 しかし2日間も無料で朝食付きクルージングを体験できたと思えば、 残念なのかラッキーなのか・・・ その後ラハイナの町を少し散策し、 早めのランチを取るためにレストランに入りました。 ここは日本人観光客は少なく、あまり日本人に会いませんが 珍しく隣の席に日本人カップルが座りました。 何気なく会釈をすると、なんとなく・・・どこかでお会いしたような・・・!!!
彼女とほぼ同時に思い出しました。 そう、私達は小学校の同級生。 ご近所に住んでいました。 毎日遊ぶほどの仲ではありませんでしたが、学校でハンドボールをしたり ・・・楽しい思いがよみがえりました。 彼女は頭が良く中学校から名門へ進み、お付き合いも途切れていました。 ・・・すっごい偶然、めちゃくちゃ久しぶり~。 マウイ島ラハイナに同じ時期に来ていることはもちろんですが 同じ時間に同じレストランを利用し隣の席になるなんて・・・ 不思議な縁を感じましたね。 彼女達夫婦も子供はおらず、旅行が趣味とのこと。 話も合いひとしきり盛り上がりました。 そして、お互いの住所を教えあい別れました。
―――日本に帰ってからは再会の感動も薄れ、 忙しさにかまけ殆ど連絡はとっていませんでしたが、 年に一度お互い年賀状だけは交換し近況を報告しあうようになりました。 相変わらず各地をご夫婦で旅行しているようで、 翌年はニューヨークヤンキースタジアムでの揃っての笑顔の写真の賀状。 その後も彼女達ご夫婦の微笑ましい賀状を楽しみにするようになっていました。
ところがです・・・先月、彼女のご主人から喪中葉書が届きました。 主人宛だったので、初め私は気付かずにいましたが、 それは私の友達の訃報を知らせるものでした。 ・・・妻 淑乃、去る十月一日、四十一歳で永眠・・・
その字を見て・・・・・理解するまでにどのくらいかかったでしょう・・・ 愕然としました。あんなに元気だったのに何故・・・ まだまだ若く綺麗で頭も良かった彼女。 本人の無念さと残されたご主人のことを思うと胸が詰まります。 あんなにお互いを必要とし合っていたお似合いのご夫婦だったのに・・ 死の何年か前に約30年ぶりに再会したのは 果たして偶然だったのでしょうか・・・ 思えばラナイ島へのツアーが2日とも中止にならなければ、 再会はせず彼女の死を知ることも無かったでしょう ・・・答えの出ない想いが私の中で切なく浮かびます。
人生まだまだこれから!・・・なんてよく思っている私ですが、 葬儀の仕事のたびに噛締める思いがまた甦ります。 「人生いつどうなるか分からない。その時その時を精一杯大切生きよう・・・」 ・・・改めて、天国の彼女に誓いました。
―淑乃さんのご冥福を 心からお祈りします―
|
投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2005年12月21日 11:06
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/89
|