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2006年01月20日

2006年の目標一つ クリア! (藤田 順子)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

「まだ行ったことのない国へ行き新たな発見をしたい」
・・・年始に初めての訪問地シンガポールへ行ってきました。
シンガポールは、赤道から約140kmの位置にあり、気候は年間を通じて高温多湿、
平均の最高気温は30℃程度、湿度は85%ほど。非常に蒸し暑いところです。

しかし、私たちが行った1月は雨季で若干気温が下がり過ごしやすい時期です。
時差は1時間で、シンガポールが日本より1時間遅れとなっております。
総面積約600k㎡のこの国に住む約400万の人口比率は、中国人が最も多く77%、
(チャイナタウンは一大都市でした)次いでマレー人14%、インド人8%、
ユーラシア人1%と他の民族の子孫です。

それぞれの民族グループは自分達の文化的認識を保ちながら、
同時にシンガポール・コミュニティの欠くことのできない存在として
発展してきたというだけあって、調和の取れた文化・料理・アート、
そして建築物を沢山発見することができました。
エネルギーあふれた東南アジアのこの小さな元気たっぷりの国は、
東西のさまざまな文化のすばらしいところを併せ持ちキラキラと眩しく輝く国でした。

そんな訳で、これから数回シンガポール旅行レポートを載せようと思います。
よろしかったらお付き合いください。
初回はシンガポールの食!
まず大好物の甘味にスポットを当てたいと思います。





シンガポールの人々は食べることに一生懸命。
町をふらっと歩けばすぐに分かります。
町のいたるところにあるホーカーズ(集合食堂・フードコートのようなイメージ)は
庶民の胃袋を満たす台所。沢山の食堂が連なりひしめき合っているそこでは、
色々目移りしてしまって食べるものを選ぶだけでも一苦労。
とっても大変なんですが、一度に色々と食べることができ、それは楽しい所です!

シンガポール・中華・マレー・インドネシア・インド・タイ・イタリアン・シーフード・
ニョニャ料理など、勿論日本料理もあります。
多様な文化を誇るシンガポールは、世界各国の料理を手軽に味わうことができるんです。
グロテスクなエタイの知れないものもありましたが、
見るからに美味しそうな料理も多く、辛いもの好きの私たちは
タイ料理・中華料理を好んで食べていました。
甘いものに目のない私が、出発前から必ず食べようと決めていた甘味は2つ。
まずは美容に良いとされる「亀の甲羅ゼリー」 





テレビで何回か紹介され「まずい」「苦い」という感想ばかりが
記憶にインプットされていたので、オーダーするにはかなり勇気がいりましたが、
実際食べてみると、それほどひどくはありませんでした。
一緒に甘い蜂蜜のようなシロップが出されるのでそれをかければ、
特に問題なく味わえました。
そして「ボボチャチャ」。





これはココナッツミルクに蒸したタロイモ等穀物をはじめ、
植物や果実などをふんだんに入れた、やはり美容に良いとされるデザートです。
ボボチャチャは「暖かいデザート」とガイドブックにありましたが、
暖かいものと冷たいもの両方ありました。
見た目は他のデザートに比べボリュームが少なく寂しい感じだったのですが、
暖も冷も病み付きになるくらい美味しかったです。

その他にも色々なデザートに挑戦してみました。「アイス」と書いてあっても、
それはアイスクリームではなくカキ氷が殆どでした。
思い出のデザートの写真を何枚か載せますね(^^)。





肝心の主食については触れるとキリがないので、1店だけご紹介いたします。
それは、シンガポールの中心地から少し離れたイーストコーストにある
シーフードレストラ「ロング・ビーチ」。
地下鉄とタクシーを乗り継いでお店に着いたのですが、
メニューをだされ迷っている私たちにお店の方がこれが良いでしょうと、
セットメニューの中で最もリーズナブルなものを薦めてくれ
(懐具合も見透かされたのか・・・)それを食することにしました。

お店には生簀がいくつもありカニやロブスター、沢山の魚が生かされております。
出てきた料理の内容はロブスターの金糸揚げ・チリクラブ・青梗菜の炒め物・
チャーハン・デザートと書き出すと比較的シンプルなのですが、
これが味もボリュームも満点。
特にチリクラブはかなり辛めの味付けですが本当に美味しかったです。





旅行中、食べてばかりいたので旦那は体重が3kgも太ってしまいました。
社長の井手に写真のセンターに写るなと言われるので、
シャッターを切る主人に
「撮るの料理だけでいいからね」と言っていたのですが、酉年の主人。
3歩あるくと忘れてしまうようで今回も・・・笑って許してくださいね!

(おまけ)
主人お目当ての地ビール




<井手の割り込み>
藤田、ひとこと言っていい?
「ど真ん中じゃん」
「中心じゃん」
「両手広げて、笑顔まで作ってるじゃん!」
ごめん、三こと言ったけど・・・。

(おまけ1)
先日、山手線車内のモニターで流れていた「山の手雑学」(タイトルに自信なし)
「蚊」という字は、どうして「虫」+「文」なのか?というクイズ。
答えは・・・
「ブン・ブン」と鳴くからだって。
さらにクイズは続き、
「鳩」という字は、どうして「九」+「鳥」なのか?
答えは・・・(まさかとは思ったけれど)
「クッ・クッ」と鳴くから。
へぇー驚いたね!
で、少し調べてみたら鴨(かも)の語源も鳴き声かららしいけど
鴨は「グァッ・グァッ」と鳴かないかなあ。
「コウ・コウ」に近いと言えば・・・言えなくもないか。
同様にガチョウもそうです・・・鵝鳥と書きます。
「ガア・ガア」ですよね。
何だかテレビのクイズ番組みたいですな。

(おまけ2)
背広・・・この字の意味が不明。
だって細い人は「背狭」「背細」って言うんかい?
(と、自分でふっといて)
語源説は2つ。
1.平服を意味する英語「civil clothes」の前半だけが当て字に使われた。
2.ロンドンの洋服屋さんの名前「Savile Row」に当て字。
正直どっちでもいいね。

(おまけ3)
酒飲みは、どうして「左党」と書くのか?
大工や石工の鑿(のみ)を持つ手が左手だから、左が「飲み手」だって。
お酒が飲めない人は、「下戸」なのにね。
下戸は、律令制の「大戸・上戸・中戸・下戸」の四階級の最下級。
つまり、酒が飲めるほど裕福ではないということか。
確か、日本書紀か古事記にも記述があるはずです。

(おまけ4)
現在のは行「は・ひ・ふ・へ・ほ」の音(おん)は、
時代と共にその発音が変化しています。
(50音が普及するのは明治以降です、誤解のないように)
奈良時代以前は、「は」を「ぱ」
奈良時代は、「は」を「ふぁ」
江戸時代になってから、「は」を「は」と発音するようになったのです。
(因みに昭和40年代に弘田三枝子は「わ」を「は」・・・これはネタです。)
ぱ ⇒ ふぁ ⇒ は・・・と変化しているのですが、
これを日本語の唇音退化と言っています。
唇を使って発音する音が退化しているということですね。
(だから私は英語が苦手なのかあ、奈良時代に生まれれば良かったなあ)

室町時代のなぞなぞ・・・これは国語学上貴重な資料らしい
「ははには二たびあいたれども ちちには一度もあわず」ってなーんだ?
昔の発音ですからね。
答えは「唇(くちびる)」。

(おまけ5)
昨日の工場長の「大人力検定」。
何と私の点数は1点・・・子供のような純粋な心を持った大人という意味でしょう。
(だって、おっ勝負下着だね・・・にチェック入れるくらいだからさ)
日本語検定は58点・・・だめだこりゃ。
顔検定で私の総合賞味期限は55歳でした。
恋愛検定は途中でアホらしくなって止めました。(きっと満点だったでしょう)

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年01月20日 16:46

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