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2006年01月10日
…ダチョウの子育て… ダチョウの母親は、自分が産んだ卵だけではなく、 他のメスが産んだ卵も一緒に抱いて育てるというのをご存知ですか。 麗しき母性本能ですよねえ。 さらには卵を温めて育てるだけじゃなく、 他のメスのヒナまで自分の集団に加えて育てることも珍しくないとか。 そのためダチョウの母親は、20~50羽のヒナを連れた大集団だそうです。 子育てがホントに大変でしょう。(大家族だあ)
不思議な行動ですが、ボランティア精神に富んでいると思ったら大間違い。 実はとても利己的な発想によるものらしいのです。 卵を温める時は、自分の産んだ卵だけはしっかりと見分けて、 集団の中心に置くのだそうです。 そうすることで、他の動物から卵が狙われた際に・・・外側の卵から食べられますので、 一番安全な場所を確保するとか。 (確か恐竜にも似たような行動をとるのがいましたね)
考えてみたらダチョウにボランティア精神なんてあるわけもなく(ダチョウに失礼)、 かといってダチョウの母親が酷薄なわけでもありません。 全て遺伝子のなせる業です。 生物は皆、遺伝子によって盲目的にプログラムされたロボットなのです。 遺伝子は、全てのマスター・プログラマーですから、 自らや種が生き延びることを最優先にプログラムを組んでいます。
有名な話ですが、雲雀(ひばり)の子がキツネに襲われると、雲雀の母親は 自分が怪我をした振りをして、キツネの注意をひきつけ我が子を守ろうとします。 (くーっ、涙ぐましい・・・少なくとも家内と娘よりは芝居が上手) 雲雀の母親が怪我をしている演技を習うわけはありませんから、 これも遺伝子情報にプログラミングされているのでしょう。(恐ろしい) 自分の遺伝情報のコピーは、子供という形で確保してあるので、年老いた自分よりも 将来ある若き遺伝子を、自らが犠牲になってでも守れという指令が出るのです。 生物個体の繁殖にとって優先順位が決められているとしか思えません。
FUNETのシステム作りで、どうしても「プログラミング」というものに興味が向かい お陰で今までとは異なるジャンルの知識が増えました。
人間を形作るために一人一人に設定された遺伝子情報の一揃い、 つまり生命の設計図であるヒトゲノム解析が完了し3年程経過しました。 (ゲノムというのが遺伝子情報の一群のこと) しかしこれは、プログラミングされている側が、根本命令系統の中枢である マスター・プログラマーに対して、「ノー」と言える権利を有したということです。 考えてみれば、とても恐ろしいことのような気がします。
人間がマスター・プログラマーとして精巧なロボットを作ったとしましょう。 ロボットは人間の指令に忠実に行動しています。 時には、機械の悲しさか、融通が利かないこともあるだろうし、 そのバカ正直な素直さに、憎めない愛らしさを保ちながら・・・。 そしてやがて・・・そのロボットから「ノー」と言われる日が訪れる。(ギョエー!) 恐ろしいですな、でもこんな映画あったね。
もしかしたら・・・ マスター・プログラマーに「ノー」と逆らう領域、 それがヒトという種にとって生き延びるために必要ならば、 ここにたどり着く事も、人にはプログラミングされていたのかもしれません。
「パラサイト・イヴ」という小説で、母性遺伝の特性を持つミトコンドリアDNAに ある種のプログラミングが施されていて・・・というのがありました。 またミトコンドリアDNAの解析から、人類のルーツがアフリカの女性であり それを「イヴ」と名づけられた話も有名です。 さらには、「イヴの七人の娘たち」という書物では、(私は未読) ヨーロッパ女性のルーツが7人にまで絞られたようですし・・・。
人間は、一体どこまで行くのでしょうか。 好奇心が持つ力は無限ですね。 とにかく、良い方向で活用される事を願わずにはいられません。
ところで、一見ボランティア行動にも思えたダチョウの母親の話。 人間にも似たような事が当てはまらないとも限りませんよ。 ある意味ボランティア的行動、しかし深く考えれば、自身のためでもある。 そんなことが多々あるのでは・・・と思います。 無償の行為の判断はとても難しいですが、心が澄んでいなければならないでしょう。 ボランティアと称するものが、必ずしも偽善とは思いませんが、驕らないことです。 何事も謙虚に見つめていなくてはいけません。
昔、とある葬儀社で・・・ある骨髄バンク主催の葬儀を担当しました。 こちらも趣旨に賛同し、かなり割安に見積もって施行が行われました。 利益をかなり押さえた見積もりです。 それでも相手はお客様ですから、いろいろと無理を言ってきます。 出来る限り、というか全て団体の希望通りに無理を通し、 お陰で公共の式場で同時に施行されている他の業者に少し迷惑をお掛けました。 しかしまあ、業者間はお互い様で許されることもあります(事情をお話して)。 司会は、骨髄バンクの趣旨に賛同してボランティアをされている女性タレント。 このフォローだけでも疲れましたが、セレモニーの中で、限られた時間内の進行を 無視して、次々と思いつきで追加されるイベントには辟易しました。
一つ例を挙げれば、出棺の際、事前に契約していた霊柩車(洋型タイプ)を その場で突然キャンセルし(車が気に入らなかったわけではありません)、 揃いのジャンパーを着たボランティアスタッフで柩を担いで歩きたい。 誰かが思いつきで言い出すと、急遽変更になったり・・・(他にも多々あるけどカット)
葬儀は単なるイベントではありません。 故人を送るセレモニーという趣旨から離れ、団体の存在を誇示するイベントの比重が 大きくなり、結果としてそれは歪な形になっていました。 それから、葬儀社を見下したような態度の裏には、自分たちは社会的にすばらしい事を している・・・だから多少の我儘は許されて当然・・・そんな雰囲気や甘えがあったと 感じています。私は、後にその事を痛感するのです。
集金の際、ご遺族が全て団体にお任せしてあるからそちらへ行って下さいと・・・ 指示された通りに団体の事務所へ伺うと、現場で一緒だった団体の責任者からは 当然の事のように「全額寄付して欲しい」・・・耳を疑いますよ。 寄付は考えてもいいですが、強制されるものではありませんし、 一旦清算して、集金するのは当然です。 こちらが拒否をして、それから数ヶ月以上揉めた挙句にやっと振り込まれました。 (ボランティア活動の裏で、あまりにも図々しい要求・・・) それ以来、私がボランティア嫌いになったことは当然です。(トラウマか) (全ての骨髄バンクがそうだとは思いませんよ)
話は少し逸れます。 真偽は不明ですが、悲しい噂を聞きました。 白血病の患者にボランティアと称して近づき、寄り添い、相談に乗り、 やがて確実に訪れるその方の死を待って、葬儀の受注を生前に契約している そんな葬儀ブローカーのような人がいるらしいと・・・。 全くひどい世の中です。 葬儀施行を取りたいという、本来の目的を隠してボランティアになりすます。 親しかった友人として、葬儀の一切を取り仕切り、プロデュースしているけれど、 よくよく聞いてみれば、知り合ったのは、故人が白血病になってからのこと・・・。 (それも意図的に) そういう人ほど、既存の葬儀社を押しなべて悪徳業者と決め付けるけど、 何のことはない、自分はその上を行く新手の悪徳業者だったりして・・・。 弱っている人や、病気の人や、悩んでいる人に付け込むやり方は大嫌いです。(最低っ) ましてやボランティアを隠れ蓑にするとは、許しがたい行為。
これも、自らの繁栄を最優先に考えられたDNA? いえいえ、(もしこの話が本当なら)人間が歪んでいるだけでしょう。 ・・・悲しいですね。
<追伸> 私だって偉そうな事を言える立場ではありません。 ましてやボランティア行為なんて、まったくと言ってよいほど縁がありません。 仕事にしたって、セミナーで講師という立場を与えられているから、その職務を果たそ うと一生懸命努力はしますが、私が人より優れているとか思わないようにしています。
勘違いをしないように常に戒めていないと、私のDNAは馬の骨(愚か者)ですから。
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投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年01月10日 16:55
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