曲を作る時、まず出だしのメロディを考える。
考えるというよりも自然に浮かぶという感じだ。
自然に浮かんできたフレーズを弾いてみる。
それを4小節から8小節のまとまりにしてから音符にして行く。
時にはサビの部分から浮かぶこともあるし、
最後のフレーズから浮かぶこともある。
葬儀のBGMを作る時、私の気持ちは押さえ気味なことが多い。
盛り上げたくてもどこかで押さえる。
上にあがりたくても下がる。
音符を増やしたくても少なめにする。
楽譜ではそのように書いてあっても、
レコーディングの時には結構弾いてしまうものだが・・・。
それはそれで自然で静かな盛り上がりならOKだ。
今回はめずらしく、作りかけの曲を社長の井手がとても聞きたがる・・・。
井手も100曲近く葬送音楽をプロデュースしてくると、
結構色々なことに詳しくなるようだ。
思いがけないヒントももらえる。
もうすでに2回程事務所まで行き作りかけを弾いた。
今やMCプロが、司会業よりも力を入れているかも知れない
「FUNET」の山積みの仕事やHPリニューアルで、
狭い事務所内は熱気でムンムンしている。
事務所に行くと、自分のデスクがあるのにノートパソコンを置いて、
我が者顔で工場長が使っている打ち合わせ用の大きなテーブルの、
その又端の空いたスペースに、シンセサイザーをセッティングする。
椅子はおしゃれなものだが、シンセを弾くには硬くて低いし、
冷たいので、時々工場長がお泊りする時の毛布をたたみ、
座布団代わりにしてスタンバイする。
そして「葬送BGM・プレ品評会」が始まる。
今回は、ナレーションのBGMということで、
なるべく自分の主張をはずして曲を作ってきた。
しかし今回、その主張していない曲に限って井手が注文を出す。
「これはつまらないね」とか
「もっとここは、タラララリンにできないかな・・」等と・・・。
「ツツツツツーがいいかもね」とか
「ウン、パパパーは、どうかなあ」と、
井手の「俺流日本語」が満載だ!
そしてその意味が分かる自分が怖い・・・。
この私と井手のやり取りを横で工場長は、ニヤニヤしながら聞いている。
葬儀で司会者がナレーションをしゃべる時、
司会者はBGMの最初の4小節~8小節程度しか聞いていない。
そして喋り始めれば、司会者にとって曲はあまり関係ないのかも知れない。
とにかく葬儀のナレーションを心地よくしゃべり始められる
イントロ〔前奏〕であり、故人を悼んでしゃべるための、
心地よいリズムを刻んでいればいいようだ。
今回1曲だけ「お別れのシーン」に似合う曲という井手からの注文で、
BGMという枠を越えた曲を作った。
私にとって「お別れのシーン」のイメージは
やさしさ・暖かさ・見守る・旅路の無事を祈る・お疲れ様という気持ち等だ。
それはすべてが、今私が音楽サポートをする
「ホスピス」の環境やその場にいる人の感性と似ている。
そこで、ホスピスをイメージして曲を作ることにした。
この病院のホスピスに関わるすべての人々に捧げる曲。
私がいつも弾いている午後の時間帯は、
お日様が暖かく入り、陽だまりがやさしい。
その中からこの曲は生まれた。
その曲を先日のホスピスライブの時間、初演奏させて戴いた。
誰よりも喜んでくれたのが、看護師さんたち・・・。
「うわー!素敵~」と言って、
ピアノを弾いている私と記念撮影までしてくださった。
音は写らないけれど、私もとてもうれしかった。
ホスピスという場所で命を見つめるスタッフ達は、
患者様やご家族を支えることが仕事である。
そこには当たり前のように自己犠牲を伴う。
それをいとわない広く深い心はどこから来るものなのかといつも思う。
そしてそのスタッフ達こそ、誰かに支えて欲しいと思っているのでは・・・
ないかと、さらに私は思う。
私に出来ることならば、患者様とその方々を支える人々もサポートしたい。
そして、音楽にはそのための大きな力が宿っていると、今改めて思っている。
葬送BGMの作曲は、まだ続いている。
そしてホスピスへの曲もたぶん、CDに入ることになるだろう。
葬儀の現場やスタッフ教育、そして悲嘆の現場で培った
私の熱い想いや感性を私なりの音楽として表現できることが、
今すごく幸せだ。