そもそも開式5分前到着とは許しがたいね。
セレモニーとは無関係にお経だけを挙げるなら、
開式までに間に合えばそれでもいい。
でも管長表彰状授与・総長弔辞・総代役員指名など…。
ある面、セレモニーに乗っかっているではないか。
一連の流れをせき止めるどころか、一声で流れまでも変えてしまう。
しかも5分前に…。(まったく)
お陰で通夜では、予定していたナレーションもカットされ、
開式も10分ほど遅れてしまった。
何百人もの参列者が右往左往しているのに。
更には、導師・式衆の入場アナウンスをしてからの
影での導師と脇僧同士の打合せ…。
(この馬鹿者っ!身内同士の打合せくらい、先にして来んかいっ!)
熱心な法話やお経の合間にも、故人を称える文句。
皆さんには、そりゃあ一いい導師に映ったかもしれんよ。
けどね、遅く来て1番先に帰る導師との打合せもままならず、
本番を迎える担当者や司会者の気持ちも考えてみなさい。(まったく)
管長表彰状授与・総長弔辞は動きを伴うから、根回しが大変なんだよ!
それに5分前から小坊主と歩きながらの打合せをしたにも関わらず、
ひょっこり導師が出てきて、小坊主とは違う事を言ってくる。
故人が宗門にそれだけ貢献した方だからこそ、
きちんと打ち合わせをして、しっかりと儀礼をやって差し上げるべきでは。
お陰で寿命が1年縮まったよ。(まったく)
いかにも故人の為に・・・という宗教儀礼の裏には、
傲慢な厭らしい部分がありありと見えたような気がするよ。
(小坊主にも、だけどさ。)
人間の風上にも置けない坊主たち!(ちと、いい過ぎ)
あんたら、導師として、ちっと許せねぇぜ。(まったく)
あらっ…ほほほほ…私としたことが、はしたない言葉遣いを…。
失礼っ!
では、ごきげんよう。
<名無しのわりこみ>
えーと、誰の影響なのでしょうか、この言葉遣い。
しかし、通夜・葬儀を見ていると、たまに性質の悪い坊主がいます。
今までで一番遺憾だったのが、通夜の後、ただ単に法話の長い坊主。
法話は、ある種坊主の義務だという話を聞いたことがあります。
しかし、焼香を終えて食事・歓談している会葬者に、
遺族も挨拶をしたいだろうよ。
式後の法話で、無理に遺族を足止めするなよ。
(ほら、食事を終えた会葬者も帰りだすじゃないか!)
そして、これがまた長いんだわ。そして、オチが無い。
読経中も、あんたの声質が睡眠剤のようだったから非常に眠かったのに、
法話に関しても、内容よりいつ終わるのかが気になるよ…。
ほんと、お経は読めても
空気の読めない坊主は困ったものです。
<じゃあ、私も割り込みで>
皆さん、僧侶に聖人君子を望んでは…それは幻想ですぞ。
縦社会のひずみに毒され、プライドとお金に執着する方もたくさん存在します。
(もちろん…少数派ですが、尊敬すべき方も)
僧侶の方がよっぽど世俗に塗れて(まみれて)いるかも。
全国の葬儀社さんと話をしていても、
どこそこの僧侶が来るから、様々な諸問題も一発で解決し、
通夜・葬儀が滞りなく行われます…という例は滅多にありません。
むしろその逆で、問題を大きくしたり、増やしたり、こじれさせたり…。
もちろん一概に僧侶ばかりが悪いだけじゃないこともあるでしょうが。
寺院の世襲制度は完全に疲弊して、一度ぶっ壊さないと僧侶の我儘は治らない。
寺格や肩書きに惑わされることなく、人格で判断しましょうよ。
因みにこの宗派は、宗教上のトップが管長、行政上のトップが宗務総長だったと思います。
冒頭の誰かさんのセリフ。
「パフォーマンスとしか思えない」
その通りです!
袈裟が泣いてますよ、大袈裟が…。