その端にあるソファに座り、手持ち無沙汰で雑誌に目を通していた。
その内に私が座っている場所から一番遠いソファに数人がやってきた。
ひとつずつのコーナーはパーテーションで区切られていて
顔は見えないが、その言葉ははっきりと聞き取れる。
よく聞いてみると、葬儀屋さんと遺族が葬儀の相談をしている。
私の他にもソファに座ったお客様がいたが、
その話し声が聞こえるとどこかへ行ってしまった。
私にとってはすごく興味深く、こんな場面に遭遇できるなんて、ラッキー!
と思い静かに聴いていた。
つい今しがたお亡くなりになった方の娘さんと故人のご主人が、
葬儀屋さん二人と話している。今ご遺体の処置の最中らしい。
娘「どのようにしたらいいのでしょう」
葬儀屋「はい。菩提寺は××寺と聞きましたが・・・」
娘「はい。葬儀は××寺の会館でするということで住職に話してあります」
葬儀屋「はい。かしこまりました」
娘「どの位の感じでできるんですか?」
葬儀屋「××寺会館ですとこの写真位の規模でなさる方が多いです」
娘「はあ・・・」
葬儀屋「・・・」
娘「母はもう年でしたからお見えになる方も少ないと思います。」
葬儀屋「・・・ただ、ここの広さは横○○mありますから・・・」
娘「あまり大きいことはしなくてもいいかと・・・」
葬儀屋「会館の広さからして、少なくともこれぐらいでないと・・・」
娘「おいくらくらいかかりますか?」
葬儀屋「はい。こちらをご覧ください」
娘「はあ・・・。あまり大きくしなくても・・・ねえ、お父さん?」
父「そうだね」
娘「これ以外にかかるお金は、何ですか?」
葬儀屋「料理や返礼品、戒名など等ですが・・・」
娘「料理はどうすればいいんですか?」
葬儀屋「はい。こちらがカタログです」
「この料理屋が結構いいですよ」
娘「はあ・・・。揚げ物なんかはいらないと思うんです・・・」
葬儀屋「若い方たちには、好評ですけどねえ」
娘「若い人は、あまり来ないと思うのよねえ」
葬儀屋「この料理屋は、なかなかいいいですよ」
結局この葬儀の相談は、ご遺体の処置が終わったとの連絡で
「明日の朝ご自宅に見積もりをお持ちします」ということで終わった。
お通夜は、明日の夜とのこと。
この時は前日の午後3時。
遺族は大体の料金を聞いただけで、後は葬儀屋さんに任せてしまっている。
こんな相談で大丈夫なのだろうか・・・。
それは私からの遺族への意見でもある。
しかしこれが現実だろう。
遺族側に主張がなさ過ぎる。
「こうしたい」というイメージがあまりにも無い。
葬儀のことを知らな過ぎる。
「これでは葬儀屋さんの思うツボ」
もっと色々突っ込んで聞いていい。
料金だってはっきりと聞いていい。
この料金には何が入っているのかをちゃんと聞かないと、
後で必ずトラブルになる。
トラブルには、葬儀社側の問題もあるが、遺族側の準備不足も大きい。
団塊の世代が喪主になる時代がやってきた。
故人の子供は2人から多くて3人。
一人っ子というのもめずらしくない時代だ。
葬儀の相談も、少ない人数で簡単に行なわれることが増えて行くだろう。
だからこそ、葬儀社側は、丁寧な相談を心がけなくてはならない。
そして、顧客側も、葬儀についてもっと勉強しないといけないなあ・・・。
この会話の分析はここでは敢えてしないが、少なくてもこの限りでは、
葬儀社側に、娘さんの気持ちを理解しようという努力は見当たらない。
料理屋の回し者ともとられかねない発言もある・・・。
帰りにちらっと見えたのが、葬儀屋さんが後ろ手を組んで遺族に向かって
「どうも~」と言っている姿だった。
私だったらこの時点で
「はい、残念でした。お宅には頼みません!」と言うかも知れない。
顧客側ももっと強くなっていい。
故人のご主人が葬儀屋さんとの話の中で、
「今は葬儀屋さんも成長産業ですね。忙しいでしょう」と言った。
するとこの葬儀屋さんは
「いやいや、そうでもないんですよ。」
「かえって大変な仕事になっちゃいました・・・えへへ」と笑ってから
「あ、すいません」と謝っていた。
人は何気ない会話にその人の本心が表れる。
「えへへ」は無いでしょう。
「壁に耳あり、障子に目あり」
「今日もあなたの葬儀相談をどこかで誰かが聞いている」
ということを忘れてはならない。