式場に到着すると、思った以上に大規模な葬儀だった。
表周りのテント内で記帳を済ませ、式場内に入ろうとしたが、
すでに入り口付近から弔問者で溢れている。
焼香の順番が来るまでだいぶ時間が掛かるわね・・・と思いながら
片隅に設けられていたメモリアルコーナーに足を運んだ。
9枚の引き伸ばされた写真が木枠の額に飾られていたが、
お孫さん(だと思う)を抱っこされている優しい笑顔の故人、
奥様との仲睦まじいツーショット、旅先でのひとコマ・・・など、
残念ながら写真にコメントが付いていた訳ではないので、
すべて勝手に想像するしかないのだが、
写真の中の故人の笑顔からすると優しい方だったのかなと思う。
しかし私にとっての故人の情報は、それだけしかなかった。
私は通常、葬儀司会の依頼をいただき、
葬儀の現場で故人を紹介するナレーションを入れる事が多い。
もちろん依頼してくださった葬儀社さんの意向や、
ご遺族様のご要望によって左右されることになるが、
常日頃感じていたのは、私は故人の事を全く知らないのに、
故人をあたかも知っていたかの如くナレーションをするのは、
少しおこがましいのではないか?と言う事。
開式を迎えるにあたり、故人を紹介するナレーションは、
確かに式場内を厳粛にする効果は大きいと思ってはいたが、
ナレーションが無くとも、それぞれの想いで故人を見送ることができるならば、
それはそれでいいのではないかとも思っていた。
ナレーションで固定概念を植えつけてしまうのもどうかしら・・・
と思っていたのだ。
しかし、今回の葬儀で全く故人を知らない参列者に自分がなってみて、
何の情報も無く、偲びようがない焼香までの待ち時間、
事務的に並ばされて焼香を済ませ、帰路に着くこの虚しさを体験し、
生前の故人を知り得る何らかの手段が必要ではないかと思いました。
私は少なくとも葬儀に携わる者として、
導線は?祭壇は?宗派は?と、見るべきものは、たくさんありますが、
一般参列者は、訳の分からないうちに来ました・・・
と言う記録だけ残して帰る方も多いのかもしれません。
それが、当たり前、普通の事よ・・・と言われればそうかもしれませんが、
司会者が少し苦労してナレーションを作れば、
葬儀社さんが少し苦労して追悼文を作ったり、
メモリアルコーナーを充実させたりすれば、
故人を知らない参列者にも故人を偲ぶ気持ちが湧き、
もっと親身になって祭壇に手を合わせられるのではないでしょうか。
少なくとも今日私が味わった虚しさを感じないのではないかと・・・。
規模が大きくなればなるほど、義理で参列する方が多くなる葬儀。
おしゃべりをしている方も目に付きます。
モラルが足りないと思うかもしれませんが、故人を知らない参列者にとって、
故人を偲ぶ手段がない葬儀では無理もないと思いました。
今更ながらですがナレーションやFUNET追悼文、
メモリアルコーナーのパネル展示や追悼ビデオは、
遺族を満足させる為だけのものではありません。
私は、いつも遺族中心の狭い視野で、
悲しいだの涙が出たのだのと右往左往していますが、
司会者はもっと広い視野を持たなければいけませんね。
一般参列者も大切なお客様なのですから。
そして葬儀社さんには、トータルプロデュースとして、
故人を偲ぶ手段をもっと一般参列者に提供して欲しいなぁ・・・
と思った次第でありました。
私のホテルに提出しているブライダル司会の宣伝ビデオでは、
「ご披露宴に参列して頂いている全員に、心地よい時を過ごして頂けるような
優しい司会を心がけています」と偉そうな事を売りにしている。
しかしこれは、嘘ではない。
葬儀バージョンに置き換えるならば、
「葬儀に参列して頂いている全員に、心静かに故人を偲べるひと時を提供出来
るような司会が目標です」かな・・・。
もちろん葬儀の場合は特に葬儀社さんの力が大きなものとなりますがね。
葬儀の見方が少し変わった1日でした。
<おまけ>
今日の私の立場のような参列者には、FUNETの追悼文がお勧めですね。
自分のペースで焼香までの待ち時間、故人を偲ぶ事が出来ますから。
受付で配る追悼文なら、式の途中から参列した方にとってもね。