まず、言葉の整理を。
・尊厳死…回復の見込みのない不治の病気で死期が迫った時、
患者本人が人間的な尊厳を保つため自発的に選ぶ死
・安楽死…激しい痛みのある不治の病の末期患者本人の要請に応じ、
医師が積極的あるいは消極的手段で患者を死に至らしめること
この二つの言葉の意味は、ほとんど同じです。
あえて違いを強調するなら、患者が選ぶのが尊厳死で、
医師が行うのが安楽死ということでしょうか。(視点の違い)
さらに、安楽死には二種類あります。
こちらの方が重要だと思います。
・積極的安楽死…薬物投与等をして、患者の死期を早める。
・消極的安楽死…苦痛を和らげる以外の、延命治療の停止。
で、今回の件は、「呼吸器をはずしたという延命治療の停止」ですから、
いわゆる「消極的安楽死」にあたります。
加えて、安楽死に関して患者家族の承認がなかったと言われていたので、
「これは医師の独善的な殺人だ」というような風潮で、
大きく報道されていたように思います。
(ワイドショーも大げさな表現を使うものだ…)
後日、家族側から承認はあったとの報道があり、
(逆風に立たされた)マスコミの熱はスッカリ冷め、
世間の注目も薄くなっているように思います。
こうして、この事件も忘れ去られるのでしょうか。
昨年5月の北海道で起きた消極的安楽死問題の事件、覚えていますか?
普通の人は、覚えていませんね。
(当時は、今回と同様に大きく報道されましたが。)
あの時は、脳死状態の患者の呼吸器を、
家族の意思で医師が外したというものです。
殺人容疑で刑事告訴され、現在裁判中だと思いますが、
・家族に十分な説明があったか。
・脳死の判定は適切だったか
あたりが争点だと思います。
安楽死を医師が実行するためには、消極的安楽死であっても、
【患者本人の承認】が本来は必要。
その点で、富山の外科医の安楽死事件は、
警察からのツッコミどころはあると思います。
(家族の意思による安楽死でも殺人には当たらないという、例外もあります。)
今回の富山の問題では、
・患者本人の意思があったのか。
・本人の意思が無ければ、家族の意思があったのか。
・家族の意思があったとして、家族が判断をするまでに、
医師からの適切な説明があったか。
この辺りを、明確にして欲しいところですね。
さて、話は少し飛びますが、
1962年に、病気で苦しんでいた父親を息子が毒殺した事件の、
名古屋高等裁判所の山内判決というものがあります。
その判決の中で「安楽死のための6条件」というものが出されています。
(以後の安楽死問題は、この判例の影響を大きく受けています。)
(1)不治の病で、末期にある。
(2)肉体的苦痛が耐え難いものである。
(3)苦痛緩和の目的でなされるもので、他に代替手段が無い。
(4)本人の明確な意思である。
(5)医師の手による。
(6)安楽死の手段が倫理的に容認される(論理的に妥当)ものである。
以上の6つです。
「本人の明確な意思」は、4項目目にありますね。
1991年には、東海大病院事件と呼ばれる安楽死事件がありました。
これは、骨髄癌の末期患者に最終的に塩化カリウムを注射して、
死亡させたというもので、安楽死事件の代表的な一つです。
判決は、殺人罪で懲役2年(執行猶予2年)が、医師に下されました。
ただ、内情を知ると医師に同情できる余地もあります。
そこが安楽死問題を考える上で難しいところでもあるしょう。
この事件の概要を説明すると、以下の通りです。
骨髄癌の患者Aさんは、1991年1月頃から、
東海大病院に、末期骨髄癌患者として入院しました。
当時の医学では、手術は不可能。
抗癌剤を使用した治療に専念されました。
しかし、Aさんの病状は一向に良くならず、
3月には苦痛から点滴の注射を外そうとしたこともありました。
激しい苦痛に苦しむAさんの様子を見た家族(妻と長男)は、
治療の中止を申し出ました。
しかし医師団は、もう少し治療を続けようと励ました。
この時、Aさんの家族二人(妻と長男)は、
すでにAさんが不治の病であることを知っていて、
二人ともAさんの苦痛からの解放を望んでいたようです。
4月に、Aさんの状態はさらに悪化します。
Aさんの妻は、連日の泊り込みでの看病。
この時、長男は、母までも身体を壊すのではないか、
そして、父には自然な状態で楽に死なせてあげられないか、
と考えていたようです。
それで、この長男は、この考えを主治医チームのT医師に伝えました。
T医師は、長男の話を聞いて、家族の意思を尊重し、
Aさんに精神安定剤を注射しました。
しかし、Aさんの呼吸は荒くなるだけ。
長男は、「早く楽にしてあげて欲しい」とさらに激しく要求をし、
T医師は、Aさんに塩化カリウムを注射して死に至らしめた、
そういうことです。
この事件の裁判では、「本人の意思・家族の意思」が、一つの争点でした。
Aさんの長男は、確かに「早く楽にしてあげて欲しい」とT医師に頼んだそうだが、
しかし、それは「早く死に向かわせて欲しい」という意図ではなかったとのこと。
また、最終的にT医師は塩化カリウムの注射を行ったが、
その注射の説明をT医師は家族に明確にしなかったという点で、
これを安楽死とは認められないとのことだったそうです。
判決は、懲役2年、執行猶予2年。
しかし、
・医師会の間では、「早く楽にして欲しい」=「死」という理解で統一されている
・あの状況で、塩化カリウムを注射することによる効果を説明するのは、
家族(長男)の精神的負担になると考え得る。
という点を考えると、
この行為(安楽死)を殺人と捉えることは、少し厳しいかもしれないとも思います。
ちなみに、東海大病院事件の安楽死は、
本人の意思確認の無い積極的安楽死の分類に入ります。
(事件となる安楽死で最も多いケースは、【本人の意思確認が無い】。)
参考までに、近年の安楽死の判例を幾つか。
※参考
・2004年の判例
ALSの長男(当時40)の人工呼吸器を止め死なせたとして、
殺人罪に問われた母親に対し、横浜地裁は、殺人罪より法定刑の軽い、
嘱託殺人罪を適用して懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。
⇒ 医師の手で行われなかった、消極的安楽死のケース
・2005年の判例
川崎協同病院に気管支ぜんそくの発作で入院していた男性患者に、
筋弛緩剤を投与して死なせたとして殺人罪に問われた元同病院医師に対し、
懲役3年、執行猶予5年の有罪判決。
⇒ 本人の意思がなかった、積極的安楽死のケース
家族でも患者の真意が探求できない場合は、
生命の保護を優先させるべきとの判決
そういうわけで、話が飛び飛びで申し訳ありませんが、
今回の富山の事件に対しても、
「患者本人の意思」「本人の意思が無ければ、家族の意思」
「家族の意思があったとして、それまでの医師からの適切な説明」
というあたりの内情を知りたいと思う訳です。
今回は、どういうケースでどういった判例が残るのか。
裁判になる(刑事告発される)か分かりませんが、
まだまだ注目しておきたい事件ではあります。
ちなみに、現在、安楽死に関して明確な法整備がありません。
死に関する問題に、法整備をすべきかどうか、という議論もあります。
ちなみにオランダでは、2001年に、積極的安楽死が合法化されました。
幾つかの条件が満たされれば、薬物投与などの積極的安楽死も認められます。
ローマ法王は「人は自然の死を迎えるべきだ」とご立腹だったようです。
自然の死とは、現代にとって何なのでしょうね。
富山の事件が起きた当初には、
自民党の一部が、「尊厳死に対する明確な基準を」という動きもありましたが、
具体的な法案の形になるかどうかは、まだ分かりません。
(ちなみに、昨年5月の北海道の事件の時には、
脳死の基準を明確にしようという法案が出されましたが、
解散総選挙で廃案になりました。)
もし、【尊厳死法案】というようなものが生まれるならば、
日本の死生観が問われることになるのではないでしょうか。
(医療費や脳死、また、臓器移植等とも複雑に関連すると思いますが。)
そのとき初めて、私は真剣に、選挙で誰に投票するのか悩むでしょうね。