まず最初に、自分で思いついた【妖怪】と【幽霊】イメージから。
【妖怪】
・人の形のものもあるが、怪物の形のものも多い
・伝説(歴史)がある
・特定の地域に棲んでいる
・アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」、ドラマ「西遊記」
【幽霊】
・人の姿をしている
・透明度が50%ほど(透けている)
・うらめしや~
・心霊写真
・映画「いま、会いに行きます」
両方とも、怖そうなものと優しいそうなものが居そうですね。
私の頭の中だけでは限界があるので、
以降、ネットを頼って少し調べてみました。
まず、目に付いたのが民俗学で有名な柳田國男。
で、彼が妖怪と幽霊の違いを一言でズバリと定義したところでは、
【妖怪は特定の土地に出て、幽霊は特定の人に出る】ということです。
なるほど、結構納得できます。
加えて、目に付いた妖怪の研究をしていた人物に、
井上円了という人がいます。
彼は、柳田氏よりも以前に妖怪の研究を始め、
妖怪を『道理では解釈のできない不思議な現象』と定義づけしたそうです。
『不思議な現象』=『妖怪現象』ということです。
理解の出来ないことは、全て妖怪のせいにしてしまえ!ということでしょうか。
柳田國男は、この井上円了の妖怪の説明を批判的に見ていて、
妖怪は、人間が合理的な考えの下で作り出した産物であるから、
研究の対象として客観化できるものと述べています。
それで、柳田國男が各地域を歩いて調査・研究した結果、
『日本人が持っている畏怖・恐怖などの感情が根本にあって、
それが様々に変化していき妖怪を生み出すようになった』、
という考察を導き出したようです。
当たり前のことを書いていますが、
全国の社会調査しての結果ですから重み(深み)があります。
加えて、妖怪は信仰とも深く関わっている、とも彼は述べています。
さて、一方の幽霊の方も。
幽霊を『はてなダイアリー』で調べると、以下の定義が出てきます。
『幽霊とは…
死者が成仏できないでこの世に現すという姿。
その存在は証明不可能である。しかし未だ多くの人にその存在が信じられている。
「死」は「無」への根本的な回帰であるということは、
多くの人間にとって恐怖の対象であるから、
その恐怖から逃れるため、死んだ後に無に還らずに、
「霊魂」として残ると考えることで恐怖を断ち切っている説もある。』
誰も説なのかが分かれば有難かったのですが、最後の4行は興味深いです。
幽霊が恐怖から生み出るものではなく、
恐怖から“逃れるため”に存在しているという点。
微妙なニュアンスの違いですけどね。
それが真実であれば、先の柳田國男の妖怪の説明と合わせて、
妖怪と幽霊の違いの一つになります。つまり、
【妖怪は恐怖から生み出され、幽霊は恐怖から逃れるために生み出さる。】
ということです。
ちなみに私は、
妖怪も幽霊もいわゆる「悪者」的存在に考えていましたが、
恐怖から逃れる存在として幽霊への信仰が存在していたなら、
昔は、幽霊が不吉だという感覚は薄かったのかもしれません。
というか、幽霊や妖怪が悪い印象(悪事を起こす)という考え方から、
幽霊の中でも「善玉」と「悪玉」が存在する、
という考え方へシフトした方が無難なような気がしました。
それの考えをサポートしてくれたのが、
漫画家の水木しげる。曰く、
「霊という字を二つ書いて、霊々(かみがみ)と読む。
つまり神様も妖怪も幽霊も、同じ所のご出身なのだ。」
ゲゲゲの鬼太郎の著者ですから、妖怪の肩を持っている面もあるでしょうが、
彼は、神と妖怪・幽霊が、単純な二項対立ではなく、
元は、一つのところから生まれている、同じような存在だと言っています。
一方、柳田國男氏も、神に近い存在として妖怪を捉えていていますが、
その内容は、『妖怪は神が落ちぶれたもの』としています。
では、幽霊は神が存在した時点でその存在があったのか。
幽霊はいつから日本で存在し始めたのか、気になってきます。
まず、古文献で幽霊が登場してくるものがないか、調べてみました。
すると、源氏物語に幽霊のことが書かれています。
『夕顔』の章です。そのシーンを簡単に説明すると、以下です。
『亡くなった六条御息所が、「私が(光源氏を)こんなにお慕いしているのに、
少しも訪ねてきて下さらず、こんな女(夕顔)を愛しているのが恨めしい。」と、
夕顔の元に幽霊となって現れる。すると、夕顔の肌が次第に冷たくなっていく。
六条御息所の怨念が亡霊となって現れ、夕顔を呪い殺した…。』
平安時代の貴族の恋愛は、いわゆる「文通」と「夜這い」が主流です。
(今は、メールと合コン…井手の割り込みでした)
源氏と夕顔が会っていたのも、もちろん夜。
だから、幽霊という存在を源氏物語の中で描くことが出来たのでしょう。
それよりも、この時代にはすでに、文学に登場するレベルで、
幽霊という存在が認知されているということが重要です。
あと、これは文学ではないですが、平安時代の有名な話。
政局で都を追われた菅原道真が、死後、怨霊として京都に現われ、
内裏に雷を落としたというもの。これも、霊にまつわる伝説です。
菅原道真は、後世、大宰府(福岡)で神格化(学問の神)されていきます。
またまた登場の、柳田國男の言葉ですが、
彼は、『人が神として祀られる第一の条件は、
この世に恨みを抱いて死んで行った場合』と言っています。
藤原道真は、その典型かもしれません。
さて、一方の妖怪の歴史も探ってみましょう。
これまた平安時代の、『平家物語』に妖怪は登場します。
(宇治の橋姫とその恋人の中将の話で、
龍王に捕らえられた中将を妖怪が担いでくる箇所。)
人ではない化け物という存在として、
すでにこの時代には妖怪が認知されていたようです。
では、平安時代以前はどうなのかというと、
小松和彦という妖怪研究の第一人者が、
『古事記』や『日本書紀』、『風土記』等の古文献に、
すでに多様な災害をもたらす存在(魔)が描かれている、と述べています。
『古事記』は712年に作られた、日本最古の歴史書です。
妖怪や幽霊という言葉は出ていないようですが、
それに近い存在は、この頃にすでに人々の間で認知されていたようです。
ちなみに、小松和彦は、
『妖怪が神の零落したもの』という柳田國男の説には批判的です。
彼は、人類が歩行して火や道具を扱い言語を用いた段階には、
すでに恩恵を与え守ってくれる神と災害をもたらす魔(妖怪)が、
並立して存在していたと推測しています。
もし、『妖怪が神の零落したもの』という視点だと、
妖怪は、当初は存在していなかったことになってしまう。
そうではなく、初めから神と妖怪は並立して対立して存在していたもの、
そう考えるべきじゃないかというのが小松和彦の考えです。
(水木しげるも、似たような立場ですね。)
ま、微妙なニュアンスの違いです。
と、つらつらと書いていると、
肝心の妖怪と霊との違いからは、脱線してしまいました。
結局、妖怪と幽霊の違いとして認知できそうなものは2点です。
・【妖怪は特定の土地に出て、幽霊は特定の人に出る】
・【妖怪は恐怖から生み出され、幽霊は恐怖から逃れるために生み出さる。】
わかったような、わからないような、
まさに幽霊エッセイです。はい。
PS.後日談
社長 「じゃあ、お墓に出る人魂(火玉)はどっち?
お墓は、特定の土地にあたるの?特定の人にあたるの?」
工場長「そりゃ、土地でしょう。」
社長 「じゃあ、人魂は妖怪なの?」
工場長「ま、そういうことになるでしょうね。人魂=鬼火とも言いますし。」
社長 「ふーん。じゃあ、人魂は恐怖から生み出されるんだ。
亡くなった人のお墓から出るのに、
生きている人の恐怖から生み出されるなんて、皮肉なことだな。」
…際どい線、突いてきますね、社長。
(【お墓】に関して教えてくださいって、質問コーナーに投稿してみようかな。)
妖怪の参考:
日本の妖怪一覧(ウィキペディア)