このグループは、発足してから何年かは、あるNPO団体の援助を受けていたらしい。
しかし援助する側とグループメンバーの思いの違いから、
今年度からは、自助グループとして自分たちだけで歩きはじめるということだ。
ご縁あって、私がそこに参加するようになったからには、
何かのお手伝いをしたいと思っている。
しかし悲嘆のサポートなどという大げさなことではなく、
あくまでも経験者としての立場から「悲嘆」や、
それを「サポートする側」の現場を見つめたいと思っている。
1ヶ月に1度だけ伺いながら、様々な悲嘆の形に思いをめぐらしていこう。
昨今、悲嘆についての講演会や書籍など、
以前に比べれば「悲嘆」そのものを語る場所は増えて来たのかも知れない。
しかし、まだまだ認知されるまでには至らないという。
認知されるもされないも、それは悲嘆を抱える方の問題であり、
「支えます」「サポートします」「どうぞ泣いてください」と言われるのは叶わない。
泣くか泣かないかなんて、私の勝手だもの・・・。
先日の会では、これからの方向性を話し合った。
そしてこの場所では、それほど専門的なものとしてではなく、
区民が普通に「つぶやける」自由な場所を目指そうということになった。
何よりも私たちが欲しいのは、自分の想いを自由に「つぶやける」場所だ。
何を話そうと、どんな順序で話が出てこようと、
それはその人の自由であり、許されるべきものであるはずだ。
しかし時としてそのような場所ですら、
「それは違う」とか、「その答えは、○○です」とか、
「そんな言い方はしない方がいい」などと言われることがあるらしい。
私たちは、自らの悲しみに答えを与えて欲しいのではない。
歩いて行く道を聞いているのでもない。
ただただ、その悲しみに涙しながら、
今の思いを言葉にしながら、越して行きたいだけである。
そしてそれらの話に、ただ耳を傾けて欲しいのだ。
悲しみについて、何を発言してもそれを否定されない場所が欲しいのだ。
「そういう会にしたい」と意見も一致した。
少しずつ悲しみを見つめながら、私らしい活動を模索して行きたい。