今風に言うとニートということになるのか、
アルバイトは、それまでに50種類くらい体験していたが、
土建業と建築業と葬儀社が、自分には一番居心地が良い場所だった。
とりわけ、混沌とした葬儀業界は魅力的で、
未開拓の分野が山ほど残されているように思えた。
その中で私が狙いを定めたのは、<葬儀司会>だったのだ。
(他に思いつかなかったしね)
「5万も払っているんだから、しっかり勉強しなきゃな!」と、
意気込んで臨んでいたが・・・? 何とノンビリした講義だろう。
大した内容もなく、音声表現に対する理解もない。
講師の実演も癖のある司会で、お世辞にも上手とは思えない。
「・・・(えーっ、ウソだろう)」
イライラしていたが、ここは取り敢えず我慢。
しかし、敬称の使い方の説明で、
男性は「殿」女性は「様」などと説明され、驚きと共に私の我慢は臨界点を超えた。
「先生、それはおかしいんじゃないですかっ!」
こうして午前中の終わりに私は切れ、表現について持論を展開し、
講師をへこませ、午後には教壇に立っていた。
売り言葉に買い言葉で、
「そんなに言うなら、お前がやって見せろ」ということだ。
結局・・・その日の午後は、私が延々と講師を務めて終わった。
納めた5万円は返金されなかったし、講師料も出なかった。(当たり前かな)
その代わり、私はその会社の主任講師を引き受けることになる。
こうして私の葬儀司会講師のキャリアが幕を開けた。
そのいい加減な会社には2年ほどで別れを告げ、
(といっても、全国各地を講師として訪ねさせてもらった)
大田区のある葬儀社が始めた学校、仮に「葬祭学院」としよう。
そこで葬儀司会の講師を2年。
何故2年かというと、2年で「葬祭学院」が無くなったのだ。
この間ずーと私は、葬儀社で担当や司会の実務全般をこなしている、
というより、そうしなければ食べていけなかった。
そして10年前に法人化し、葬儀司会講師が生活の中心となっている。
今では年間50~70の研修をする日々が続いているが、
この10年、ありがたいことに続けさせてもらっている講習会がある。
少しばかり前フリが長くなったが、今日はこれについて。
ある団体の葬祭実務担当者の初級講習会で、葬儀司会講師を担当して10年。
多くの縁に導かれ、多くの人のお世話になり私の思い入れも強い。
年に数回開催される2泊3日の講習会には、新入社員・中途採用・転職・異動と、
様々な事情で葬祭実務に携わることになった講習生が集る。
その歩んできた道も一人一人違えば、受講生の年齢にも随分と開きがある。
司会実務を教えるにしても、若い人向きの教え方と、
年配の方への教え方とは異なることを経験から学ばせてもらった。
講習に対する<やる気・前向きさ・気概・モチベーション>も人それぞれだから、
興味の惹き方にも色々と方法があり、人に応じて使い分けることを覚えた。
講師である自分が常に勉強しなければならないことだけは確かで、
自分以外の他人は、常に何かを教えてくれる師だ。
かつては・・・講習に参加して、よく愚痴をこぼす人がいた。
葬祭部への異動という人事が不満なのだ。
ならば潔く受けなければ良いものを、組織という器を離れる勇気もないし、
その自信もないから、みっともなくオタオタして、挙句の果てに講習会で愚痴をこぼす。
そんな受講生に対し、10年前の私は一刀両断にしていた。
「泣き言を言うな」と。(若かったからね)
でも今は、自分も同じような年になったから気持ちだけは理解できる。
しかし、甘えてはいけない。
組織の中に安住して、上と下にしか興味がないから、いざという時に慌てるのだ。
視野が狭いので、ピンチの時の対応能力が培われていない。
生き方を少しだけ変えてみる絶好の機会ではないか。
もっと視野を横に広げたらと感じる人が多かった。
それともう一つ、大きな組織の中にいる人ほど、
小さな尺度の物差しでしか物事を見る習性がないようだ。
目先の損得や好き嫌いだけで、時にはイメージだけで、事の是非について判断をする。
これだけは考え直した方が良い。
物差しの尺度をもっと大きくしてみてはどうだろう。
少なくとも、5年先、10年先は見据えて欲しい。
確かに今は、慣れない特殊な業務で気が重いはず。
しかしロングスタンスで考えた場合、葬祭業はどう映るだろうか。
様変わりしつつある葬祭業の将来性は、やりがいは、仕事の意義は・・・。
普通に考えて悲観的な発想は生まれてこないはずだ。
近年の受講生は、葬祭業を厭わなくなった。
業界のイメージが大きく変わったからだろう。
若い人も増えたし、真面目で明るい人が多い。
優秀な若年層の取り込みは、この団体の未来を支えてくれるだろう。
そんな若者たちへのメッセージ。
これからの時代・・・
究極のサービス業である葬祭業の、真の商品は自分自身と考えるべき。
社名・肩書きは、決して商品にはならない。
何の仕事であれ自分を磨くことを怠っては駄目だ。
<五十歳にして四十九年の非を知る>という言葉があるが、
全ては縁起…そうならないように努力を惜しまないで欲しい・・・
と、他人に言いつつ、本当は自分自身に言い聞かせている。
(うあーっ、五十まで3年半だぜ、真面目に生きよう)