「式場で、お客様の前で大声張り上げて指示命令を出すリーダーに、ろくな人はいない」
というのが私の長年の経験だ。
この社長は、通夜のその現場で、ツイードの上着に金縁めがね。
まるで昼間どこかに遊びに行った帰りにちょっと式場に寄ったかのようだ。
そしてこういう担当者になついているスタッフは、同じように常識が無い。
リーダーに、スタッフを見る目が無いのはもちろんのこと、
スタッフ教育も出来ないから、無理もない。
私がもしこの社長の下についてレディでもさせられるとしたら、
それはそれは丁寧にお断りしたい。(まっぴらご免だ)
身も心も二日間として持たないだろう。
しかし仕事として万が一共にしなければならない時には、
自分の心を冷たくして麻痺させる。
どんなお客様への社長の無礼なことも、
気にしない、感じない自分を演じることしかない。
「耳をふさぐ」「目をつぶる」「口を閉じる」それが処世術なのだ。
私が思う葬儀接遇の基本は「よい態度」「ていねいな言葉づかい」「謙虚さ」
ナニが無くても、まずはこれだ。
この社長には、当然のこと、一切のこういうことは感じなかった。
これは葬祭サービス業者としては「お客様不全症候群」という、れっきとした病気だ。
ここにこうして、いちいちあげつらうのも、すごく嫌だ。
もう思い出したくもない。
あとは葬儀接遇研修会の中で、悪い例として大いにに活用させていただくだけだ。
今思い出しても虫唾が走る、悪い例の一部をここにあげよう。
まずは、言葉づかい。
喪主や、私たちお客様に向かって、
「○○でしょう!」
「あっ、そうだよ、だってさあ・・・」
「あのねえ・・・」
お客様に、言葉づかいが出来ないということは、サービス業として致命傷だ。
葬儀進行の先が見えないこの社長に向かって、司会の私が次の進行を伝えると
「焦らないで、ねえ、大丈夫だから・・・」
大丈夫じゃないから、私は言っているのです。
一般会葬者のお焼香が始まるときに、遺族に向けて
「じゃ、椅子を斜めに、こっちに向けて並べて」
「違う、もっとこっちに、斜めに、そう、そうじゃ行くから」と、
遺族に椅子の方向を変えさせた。
通夜後、焼香の炭が途中から消えていたのを喪主が指摘すると・・・
「そんなわけ、ないなあ。だって、1時間もつんだよ、これ」と言った。
通夜のこの辺りから・・・「この葬儀屋は、はっきり言って、○○○悪いね」と、
みんなが言っていた。
火葬場のお骨上げで、壷を前にして
「これは、一番の高級品ですよ、すごいですよ」と自慢していた。
火葬場から帰って、精進落しが始まる時・・・
「(会場に)早く入らないかなあ、立っているのは小学校の時からきらいなんだよ」
とお客様の前で言うこの社長に、
それまでの葬儀屋の全ての嫌な対応に、目をつむっていた私は初めて
「お客様を急がせないでください」
「お客様にも、色々な事情があるんです」
「急がせているのは、あなたの都合でしょ!」と言った。
何かひとつ「貴方なんか大嫌い」とういうサインを出さないと、
私自身がやりきれなかったからだ。
司会をする私のマイクの音量を小さくされたり、
葬儀の中で私が助言することをことごとく否定されたり・・・
そんなこと私にとってはナンともない。
しかし、亡くなった友人には本当に申し訳なかった。
「こんな葬儀屋で、見送らなければならなかった」ということが・・・。
この、東京のど真ん中のS区で、まだこんな葬儀屋がいること自体、信じられない。
しかしその事実には、向き合わなければいけない。
「157万円一式」という見積もり。
それに対し私が突っ込むと、
「家の会社では、いちいち細かい数字は出しません」と、
遺族の前でぬけぬけと宣言する、私たち消費者に対する挑戦・・・。
遺族は、すべてにおいて「YA○○ZA」のようなやり方だと言っていた。
普段周りの友人に「葬儀屋の言いなりにはなるな」なんて言っている私が、
そうならざるを得なかったということへの悔しさ・・・。
ため息も尽き果てた・・・。
どうしてくれよう・・・・。
こういう葬儀屋を無くすためには、そして消費者を守るためには・・・。
この私に何ができるのか、これから挑戦が始まる。