スペースアデューは、家族葬、お別れ会の式場として、
東京では最も向いている作りをしている所の一つです。
ここで行われた葬儀(お別れ会)を初めて見学した時は、
演劇の舞台みたいな作りをしている広い空間、
センスの良い設計に、驚いたのを覚えています。
(ホームページ上に、少し写真あります。
雰囲気の良さはあまり伝わりませんが。)
さて、接遇セミナーの方ですが、
午後のロールプレイングから見学させていただきました。
このセミナーの醍醐味の一つで、
受講者が実際に身体を動かして接遇を疑似体験するというものです。
で、今回私がレイアウトした接遇テキストを見ながらセミナーの様子を伺って、
使い勝手の良し悪しでも考えようと、後方で目立たないようにしていたのですが…
セミナーを主催していただいているK氏から、
急遽「ちょっと来て!」合図。
悪い予感を感じながら向かうと、『喪主役』を依頼されました。
ちょうど「指名焼香」のロールプレイングの時でした。
後で聞くと「受講者は、他の人のプレイを見ていたいから。」
というのが私を指名した理由。
様々な受講者の接遇動作を見ること自体、
とても勉強にという点は確かに一理ありますが…
私は、天才役者の私の演技に皆の目が奪われないか心配でした。
…はい。無視されていますね。
ただ、実際に中に入って参加してみて、
傍で見学している以上に見えてくる点もありました。
例えば、葬儀現場でセレモニーレディが御辞儀する時、
腰より少し上に手を組んで御辞儀することが多いですが、
なんでだろう?と、ふと思いました。
で、受講者の御辞儀を見ていると、なんとなく答えがわかります。
現場のセレモニーレディは、手を腰の位置に持ってくることで、
「支点」(折り曲がる点。てこの原理。)を作っているのですよね。
そのため、御辞儀をしても腰より下が動かなくてすみ、
動作がキレイに見える。
(受講者の御辞儀は、支点を意識していないから、
御辞儀の時にどうしても、尻が動いてしまう。
すると、動きが汚く見える。)
接遇にも司会と同様に技術的なスキルがあり、
司会で発声の「癖」をカバーするように、、
接遇では動きの「癖」をカバーしてくれるのだろうと思う。
主に、筋肉の矯正になるのかもしれない。
「動き」「姿勢」「歩き方」等は、主に筋肉が関連しているからだ。
ただ、筋肉は生活によって各人その動作能力も違うし、
普段は自分の動きが基準になっているため、
自分の動きの癖(つまり接遇動作の癖)には、なかなか気づきにくい。
一方で、多くの人が参加するロールプレイでは、
他人の動作を見ながら、
自分の動作に対する「気づき」を誘発してくれる場になっているのかもしれない。
ま、御辞儀の手の位置に関しては私の「気づき」であって、
その「気づき」自体に各人、方向性があるでしょう。
それゆえ、各人の「気づき」がどういったものなのか、
客観的な見地でアドヴァイスしてあげるのが、
講師の役目なのかもしれません。
(これが、コーチングというものなのでしょうか。)
そんなことを考えながら、天才喪主役をやっていました。
そうそう、あと、現在のところ明確な理由はわからないのですが、
喪主の私を焼香案内していただいた最後の受講者(男性)の動きは、
とてもリラックスして誘導された記憶があります。
実感レベルですが、他の受講生と全く違いました。
他の人は、声を掛けられる度に「ドキッ」とさせられたのに、
この人は、非常に自然に、リラックスできた。
この違いは何でしょうか。
私が思うに、幾つか考えるポイントがあるのでしょう。
例えば、喪主の視野に接遇者の手や足、もしくは全身を映すか否かによる、
喪主の心理的影響の違い。映す場合はどの視野位置(端、中央)に映すのか。
[具体的に、最初に喪主の視野中央に全身を映しておいて、
後は部分的に視野に入っているだけで良いとか。]
また、声質による、心理的影響の違い。
[例えば、第一声の音量を意識的に低めにするとか。]
また、立ち位置(喪主との距離感)による違い。
[焼香案内の場合、起立から焼香するまでの距離感と、
焼香終了から着席までの距離感は、おそらく違うだろう。
少なくとも、私がリラックスして焼香できた最後の受講者は、
あえて焼香前後で私との距離を変えていた。]
そのあたりに、私が感じた違いに対する答えがあるような…
他にも、きっと要素があるのでしょうけど。
いろいろと気づきのある接遇セミナーです。
そのような様々な気付きを上手に引き出してくれるのが、
加藤講師ということです。
話しが上手く纏まりませんが、今日はこの辺で。