2年前…この館長が葬祭業務に携わることになった時…
縁あって私の初級講座を受講してくれた。
当時の印象としては、少し戸惑いが感じられた、と記憶している。
他業種にいた方だから、葬祭のことは分からない。
だからこそ、1から学ぼうという姿勢だったが、
葬祭コンサルタントとして求められる<知識の幅>や<その吸収能力>。
業務に最低限必要と思われる実務も多彩な上に…
司会・接遇・納棺・受注などの実務スキルのレベル設定の高さ。
そして、新しいもの、オリジナルなものを切り開いていくパワー。
いきなりそんな話を聞かされたら、誰だって戸惑うかな。
あれから2年間…
きっと様々な苦労を乗り越えて、彼女なりにスタートしたようだ。
女性は逞しい。きっと彼女も逞しい。(笑)
今後の健闘を祈りたい。
さて、研修は毎年恒例の<受講者超参加型>実務研修である。
講習会のひと月ほど前に私のほうから課題を出し、
それぞれが発表する司会進行シナリオを、事前に提出してもらう。
それを全て研修テキストに起し、当日は収録をしながら検証するというものだ。
各地域の進行の仕方が掲載されるので資料としても貴重だが、
その課題発表に、ぶっつけ本番はなし。
発表に向けて、しっかりと練習してこなければならない。
それなりのレベルが求められるし、事前に練習するしかない状況に追い込まれる。
<どんな風に表現しようか>
<どうしたら上手くやれるか>
<どんな言い回しが適切か>
本人が考え、設計図を用意し、そして自分で何度もやってみる。
イメージ通りにいかないこともあるだろう。
この試行錯誤が大切で、何よりも勉強になる。
しかも後で見ることが可能だから、他者との比較や徹底した検証が可能。
収録されている自分を客観的に見つめることができるからね。
(あー、恥ずかしいったら、ありゃしない)
課題発表者のプレッシャーは大きいと思うが、その分実力もつく。
一人当たりの収録時間は、約15分。
ドラマの30分番組なら主役の登場時間と変わらない。
その間、延々とカメラは回しっ放し。(しかもアップ)
研修の時間的制約があり、各団体の代表一名ずつの実演だ。
私もサンプルとして20分近く実演した。
(久し振りにカメラの前で喋ったぜ、しかもノーメイク)
今回もFUNET会員のホールから数名が参加してくださっていた。
追悼DVDを中心に使ってくれているホールだ。
聞いた話では、開式前に映像を流していて、
弔問のお客様はじっと見入ってくれているらしい。
今では地域に浸透し、故人を偲ぶ環境作りに役立っているようで安心した。
それではと、他の演出方法を一つだけご提案してきた。
詳細は、ここでは披露できないけど資料も郵送してある。
たまたま参加してくださっていた館長やスタッフも乗り気だったから、
チャレンジしてくれるかもしれない。
会場となったこのホールの女性館長から伺った話。
オープン間もない頃、宇宙開発に携わる方のご葬儀。
写真をお見せできないのが残念だが、
故人らしさを表現するために、故人の生き様を表現した花祭壇。
それだけでは少し物足りない。
そこで、花祭壇の中に、星型の大きな<切り込み>をアレンジし、
ナントその星型の<切り込み>の中に、お別れの献花をしたそうだ。
自由な発想が素晴らしい。
私もその写真を見せていただいて、薔薇の使い方でアドバイスを少々。
過去の柵(しがらみ)がない葬祭担当者だからこそ可能性が広がる。
<葬儀はこうあるべきだ>
<花祭壇とはこうだ>
という固定観念が、視野を狭くすることもある。
これからの葬祭業は、司会も勿論だが全ての業務で新しい血が入ってくる。
モノマネやパクリが横行する業界だから大歓迎。
新しい<血>は<智>に繋がり、サービス業としてクオリティが上がっていくだろう。
最近は講師のパクリも多く、正直迷惑している。
弊社のセミナーを何度も受講されて、学ばれるのは構わないけど、
それで似たようなテキストを作成し、研修内容も酷似しているのは…。
こんな意識の低さで、講師か?
受講履歴が残っているのに、受講そのものを否定する者まで現れた。
「記憶にございません」ということだろうか?
度が過ぎれば、何らかの対応を検討しなければ。
私と全く正反対の、違うタイプの講座をやってくれる講師の登場を待ちたい。
帰路が途中まで一緒だった参加者がいて、その方の地域は寺葬儀が主流。
私の過去の体験から、飾り付けのオリジナル方法をいくつか紹介させてもらった。
幕張と電気の使い方に関することなんだけど、
現場で試してくれているだろうか。
次回の葬祭ディレクター受験対策にも参加されるそうだから、
次の楽しみが増えた。
今度感想を聞いてみようっと。
<おまけ>
ツバメの巣立ちが間もなくのようです。
すっかりこちらを認識しています。
もうデレデレ状態です。
近所の、やはり過去にツバメを飼育したことがあるお母さんの話。
巣立ち前、ツバメの腹に目印を…落ちないような塗料で色を付けたそうです。
季節が巡ってツバメが戻ってきた時に、
「あー、家で育てたツバメだわ」と、分かるようにと…。
ところが、春が来てツバメは戻ってきたけれど、
飛ぶのが早過ぎて、ちっとも見えないと歎いていました。
…当たり前です。
そこで愚妻が、我が家はリボンを付けよう…ということになりましたが、
「それじゃ死んじゃうだろう」と、見識ある私が発言しました。
見識ある私は…有識者とも言う…自然のものは自然に帰すのが一番と思うのです。
寂しいけれど、我が家から巣立ったツバメだけを特別視するのも良くないと。
命は皆同じ、と見識ある私は思っています。
でも、ツバメちゃん、俺のことだけは忘れないでね。
家内とか、娘とか、息子とか…他は全部忘れてもいいから。
見識ある私は、煩悩の塊でもあるのでした。
今、どうやったら特別に私だけを認識してくれるのか思案中です。