そもそも、私は宗教に全く無関心だった。
一方で、子供の頃に育てられた祖母は、
熱心に浄土真宗のお勤めをしていた。
朝、御飯が炊けると必ず最初に仏壇に供えるし、
寝る前には、家族の写真を仏壇に供えてお経を読んでいた。
だからという訳では無いだろうが、
祖母が亡くなった時には、お坊さんが沢山来ていた。
菩提寺の導師を始め、副導師、フギン導師、他の宗派の導師…
功徳の数に順じて、葬儀に集まる坊主の数が多いのだなと、
その時は思ったものだ。
2級の実技筆記に、
「私の家には菩提寺がありません。でも、坊主に読経してもらいたい。
どうしたらよいか?」
という調子の良い問題がある。
基本的には、葬儀社は責任を負わないように、
家族や親戚から紹介してもらうように促すのが筋みたいだ。
僧侶に来ていただくということは、適当な宗派に依頼するということで、
後々の仏事を考えると、妥当な返答だと思う。(へぇ♪)
でも、そんな時間の余裕が無いから、相談してきているかもしれないが。
菩提寺が無いなら、無宗教葬に良いのに…。
そもそも、葬儀をしないという選択もあると思う。
(実際に、火葬のみの葬儀は増えているようです。)
私も葬祭に関わらなければ、
「菩提寺」という言葉も頭に無かったでしょう。
坊主にお経を読んでもらうなんて、
祖母のように日頃仏事の勤めをしている訳でも無いのに、
申し訳ない感がある。
葬儀における読経は、セットみたいなもので、
「世間の慣習」のような扱いになっているから、
上記のような質問が出てくるのかもしれません。
「キリスト教なのだけれども、参列者は焼香が慣れているので行いたい」
という設問もあるが、これも慣習を扱った問題でしょう。
葬儀とは、慣習のサービス業でもありますね。
今回は、「へぇ~」よりも「ふぅ~」という感じになってしまいました。
では、また。
<井手の割り込み>
浄土真宗だと、菩提寺ではなくて「お手次寺」だね。
僧侶も門徒も平座だから。
そして理論上は、全てのお寺は平等の地位ということになります。
行政上の上下関係がないということでしょうか。
本山は、象徴的扱いであり同時に一寺院ということ。
だけど、実際は冥加金が存在してまーす。
冥加金とは、まあ喩えが悪くてまた坊主に叱られそうですが、
「上納金」・・・のようなものです。
それにしても、工場長の田舎のように、
他宗派の僧侶も来てお勤めに参画するというのは、
東京ではまずありませんが、地方へ行けば珍しくない。
あまり公にはできませんが(本山からお目玉くらいます)
過疎地では僧侶も相互扶助作用が働くということかな。
エリアに対して、ある程度死亡人口が決まっていますからね。
僕なんかは、同じ仏教だからいいじゃない、と思うのですが。
話はズレるけど、菩提樹と沙羅双樹をよく勘違いしている人がいます。
気をつけましょう。
そのうち書きますが、どのくらい違うかというと、
「おすぎとピーコ」ぐらい・・・いや「森高千里」と「森下千里」ぐらい・・・。
ごめん、調子が悪いようです。
今日はこのへんで。