« 頭陀袋(ずだぶくろ) その1 (井手一男) | メイン | 研修会報告 (石川 元) »

2006年07月11日

頭陀袋(ずだぶくろ) その2 (井手一男)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

昨日の続きです。
【髪や爪の巻】
15年以上前ですが、私が担当したお葬式で、
忘れられない衝撃のシーンに出くわしました。
お別れの最後になって、故人の奥様である喪主が、
自分の髪の毛をバサっと切って棺の中に収めました。
映画のワンシーンのようで、その場の一同はっと息を飲み、
時間が一瞬止まったかのような空気…。
(カッコよすぎるよね)

遺髪を戴いて大事に取っておくというのなら分かりますが、
その逆ですからね、調べましたがな。
棺に収める髪の毛ですが、死者が男性の場合に、
その妻が、女にとって命の髪を切って入れるということは貞節を守る印らしい。
例えば江戸時代に将軍が死去するとその妻は剃髪し、
生涯尼僧として菩提を弔ったりしましたからね。
(フムフム…でも棺に入れたかどうかは調査不足)

死者が女性の場合にも髪の毛を棺に収めることがあって、
これは何故かというと、三途の川に悪い婆さんがいて、
鬘(かつら)を作るために、死者の髪の毛を剥ぎ取っていくらしいのです。
(羅生門かよ)
それを防ぐために、予め棺の中に収める慣習もあるのだとか。

では爪は何故入れるのでしょう?
地獄では、恐ろしいことに爪を抜かれた手で筍を掘らされるらしいのです。
(ヒエーっ、一体誰がこんな事を考えたのでしょうか、絶対お釈迦様ではありません)
発想からして、相当なSですね。(どSだわ)
でも筍を掘るというところが、何とも庶民的です。
それに地獄では生前の罰を受けるわけですから、
棺に爪を入れといたとしても、意味がありますかね。
「お前は準備が良くてなかなか感心だ」と鬼に誉められるより、
「この野郎、騙そうとしやがったなっ!」って、却って薮蛇にならないかなあ。
(魔邪コングだったら絶対そう言うよ)

実は、爪と指の隙間は、昔から霊魂の通り道と考えられていました。
霊柩車を見て親指(正確には一番大きな親指の爪)を隠すのもそのせいです。
幼い子供が親指をしゃぶるのも、前世を懐かしむ名残とも。
地獄で爪を剥がされるのもそのため。
つまり、二度と戻れぬように霊魂の通り道を塞ぐのでしょう。
だから、爪を棺に収めるのも死者に戻って来て欲しいという想いの表れ。
私はこのように考えてますが、どうでしょうか。

また納棺の際に、棺に一枚着物を余計に入れる慣習。
これだって三途の川の意地悪婆さんが衣服を剥ぎに来るから、(また羅生門だ)
その時に意地悪婆さん与えるために死者に持たせる、ということなんだけど。
でも地獄の意地悪婆さんなら、根こそぎ剥ぎ取って持っていくと思いますが…。
そうじゃなかったら、いい婆さんになっちゃうもんね。

いずれにしても三途の川を無事に渡るのに、
お金や品物が、モノを言う世界だとは…。
現代に限らず、日本人は昔から本音と建前が異なり「拝金主義」が貫かれている。

ところで、真宗では旅支度をしない。(ことがある)
真宗では、亡くなって<旅をしないから>と説明される担当者は多い。
決して間違っているとは思わないが、説明が浅い。
真宗が旅支度を否定しているのは、
浄土へ行くのに、お金や品物を必要とする世界観を否定しているのだ。
(これだけが理由ではないけどね)

少しだけ【穀物の巻き】
五穀を頭陀袋に入れるのは、どうやら旅の途中で野良犬に追いかけられた時、
それを投げつけて逃げる目的であったらしい。
ということは、一種の武器でもあり、また非常食でもあったのか。
このへんの考え方・発想が、生きてる感覚で面白い。
私だったら、犬を手なずけて、犬ぞりにでもしてみたい。
そして桃太郎のように鬼退治だーっ!
(キジと猿はどうしよう)
因みに、桃の種を投げつけて悪霊を退治する話が昔から存在します。

少しだけ【米・握り飯の巻き】
これは本来、死者の霊魂をこの世に繋ぎ止める「振り米」だったらしい。
庶民は滅多に銀シャリなんぞ食べれないから、
その銀シャリパワーでこの世に繋ぎ止めようとしたのだろう。
米が取れない山間部などでは、通夜の故人の枕元で、
竹筒に入れた米を振って音を聞かせ、「これが食べれるぞ」と声を掛ける。
それでも朝まで起きてこなければ、死が確定するという見極め方だ。
悲しい慣習だ。
以前佐渡の葬儀の風習で「力むすび」の事を紹介したけれど、
「力米」という呼び方もあるのだ。
しかし今では、旅の弁当のようになってしまった。
一食で四十九日も持つのかよ、忍者か。
(風の藤丸なら大丈夫…古っ)
(提供は、藤沢薬品…これひっぱり過ぎ)

その昔、頭陀袋は自前で作っていた。
作り方の作法は、死装束と同じで決まりがある。
必ず複数で作る…目的は<忌の分散>
糸尻は結ばない、出来れば針をつけたまま(危なっ)…目的は<完全な形を避ける>
別名「引っ張り縫い」とも呼ばれ、独りが忌をかぶるのを避けてるんだね。
迷信として、
「糸尻を留め忘れると、死人が出る」
「仕付け糸を取らずに着物を着ると、死ぬ」
これは絶対にウソですな。
「夜、爪を切ると親の死に目に会えない」というのも怪しい。
昔は灯りが貴重だし、暗い中で爪を切るのは危ないから…と言うのが定説だが、
私は、霊魂の通り道である爪の大切さを説いたもので、
しかも霊魂が一番活動する夜に限定して戒めたものだと思う。

こうして見てみると習俗の頭陀袋の意味は、
限りなく3の「何でも入るようなだぶだぶした袋」に近い。(その1参照)
現代風に言えば、ドラえもんのポケットのようだね。
頭陀袋を「ドラ袋」って名称変更するか?
いや、「頭陀袋」と書いて「どらぶくろ」とルビを振ってもいい…かもね。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2006年07月11日 00:00

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.mcpbb.com/blog/mt-tb-funet.cgi/394

このリストは、次のエントリーを参照しています: 頭陀袋(ずだぶくろ) その2 (井手一男):

» モンクレール ダウン レディース 2013 from モンクレール ダウン レディース 2013
MCプロデュース: 頭陀袋(ずだぶくろ) その2 (井手一男) [続きを読む]

トラックバック時刻: 2013年11月27日 21:33

(C)MCプロデュース 2004-2013 All Rights Reserved.