彼岸は、日本においては仏教行事(彼岸会)でもあり日本の風習でもある。
<日本においては>と言ったのは、他の仏教国では存在しないからだ。
彼岸は「到彼岸」の略で、間違っても「倒彼岸」にはならないように。
これはサンスクリット語のパーラミータ(音写して波羅蜜)を漢訳した言葉。
意味は、彼岸へ到達する。
しかし、彼岸の語源は「日願」であるという説もある。
ここにも私が言う<2つの視点>が存在するようだ。
宗教上に起因・・・到彼岸 ⇒ 彼岸
習俗上に起因・・・日願 ⇒ 彼岸
何故日本人は、古来より彼岸を重んじてきたのだろうか。
宗教上の理由付けを考えるに、
春分の日と秋分の日は、太陽が真東から昇り、真西に沈む。
この日は昼の長さと夜の長さが、丁度一日の半分ずつ。
明るい昼は悟りの象徴、暗い夜は迷いの象徴。
浄土と娑婆(現世)の境界線・・・2つが接する日としての象徴だったのか。
習俗上の理由付けを考えるに、
古来より存在する民族独自の太陽信仰の系統として、
季節の移り変わりの中で、春分の日と秋分の日は重要な節目である。
春分の日は種苗の時期に、そして秋分の日は収穫の時期に当たる。
生きていくための大切な節目としての位置づけ。
まさしく「暑さ寒さも彼岸まで」だったのだろう。
上記2つを融合させた要因は、2500年~3000年前、
現在のネパール付近で起こった「アミータ信仰」が爆発的支持を得て、
東アジアから海を越えて日本に伝播する。(仏教の伝来)
日本人に一番人気の浄土、つまり西方極楽浄土・阿弥陀仏の浄土である。
(アミータの音写が阿弥陀である)
この極楽が、阿弥陀経という極楽の様子を描いたお経によれば、
十億仏土(十億の浄土)を越えた真西に…遥か遠い真西にという意味…
極楽と呼ばれる浄土が存在するという。
これで決まりだ。
春分や秋分の日に、真西に沈むお天道様を拝めば、
極楽浄土の東門を拝むことになり、またある種の太陽信仰でもあるだろう。
先祖供養と太陽の恵みとしてのお供え物がトッピングされるのは自然の成り行き。
仏教と古来の風習や土着の信仰が混じり、彼岸は昔から大切な位置付けを持った。
ところで、春は牡丹で「ぼたもち」、秋は萩で「おはぎ」だ。
牡丹の花のように「ぼたもち」は大振りに、萩の花のように「おはぎ」は小振りに。
また、花のイメージから「ぼたもち」は<こしあん>で、「おはぎ」は<粒あん>で。
そんな話を聞いたこともある。
これ読めますか…「二河白道」。
親鸞聖人が尊敬された七高僧の1人で、中国唐時代<善導大師>の有名な教えです。
「にがびゃくどう」と読みます。
この二河白道の喩え話が仏教的には、彼岸を教えてくれています。
その話とは…
1人の旅人が西へ西へと向かって旅を続けていました。
すると左右を大河に挟まれた一本の細い道に突き当たります。
向かって右の大河、すなわち北側の河は、
激しく波が渦巻き、その波にさらわれて落ちたらひとたまりもありません。
向かって左の大河、すなわち南側の河は、
火山口のように絶えず炎を噴き上げ、今にも襲い掛かってきそうです。
向こう岸までは100歩ほどの距離ですが、道幅は15センチ程度しかなくて、
とても心もとなく安全に渡りきれそうにありません。
引き返そうかと思案し、ふと振り返ると、猛獣や悪賊がすぐそこまで迫っていました。
絶体絶命…このまま西に進めば、火の河か水の河に落ちて死ぬだろうし、
立ち止まっても引き返しても命を取られてしまいます。
助かる道は唯一つ。
一筋の細い道に託して西に進もうと決意した時、声が聞こえてきます。
東の方からは「迷わずにこの道を行け」と勧める声。
西の方からは「迷わずにこの道を来たれ」と呼ぶ声。
まあこんな喩え話なのですが、少し解説を。
西に向かう旅人の眼前に忽然と現れる細い道・・・
一心不乱でなければならず、邪心が入ればたかだか100歩の距離も渡ることの難しさ。
これは発願して直ぐ近くまで到達していても、開悟の難しさを表しているのでは。
(私なんか邪心だらけだから到底無理)
右の大河…北側の激しく渦巻く水と氷の大河は、寒い冬の象徴。
左の大河…南側の火山口のように火を噴く大河は、暑い夏の象徴。
その真ん中を通る細い道は、昼と夜の長さが等しい春分と秋分の一日です。
1年でたったの2日間だけという極めて稀な自然現象。
東の方から聞こえる「迷わずにこの道を行け」と勧める声は、お釈迦様の声。
西の方から聞こえる「迷わずにこの道を来たれ」と呼ぶ声は、阿弥陀様の声。
東が娑婆で西が浄土。太陽は東から昇り西に沈みますからね。
東から生まれた命がその終焉と共に西に沈み、
そこには祖先の住む国(浄土)があるのか。
旅人の眼前に広がる左右の大河・・・この細い道を渡りきった西の向こう岸が<彼岸>。
大河のこちら側が<此岸>ということだろう。
善導大師はこう言っています。
「釈迦は既に亡くなり会うことは出来ないが、その教えを尋ねることは出来る。
遺されたお経によって、私たちに呼びかけて下さっているのだと…」
だからお経を読むということは、お経を聞くということなんだけれども、
お釈迦様の声が、その教えが、直接私たちの耳に届かないようにしてしまったのは
何を隠そう僧侶自身ではないのだろうか。
お経は、ただありがたいだけの呪文ではありませんぞ。
歴史上で釈迦は2500年前の過去の人、
しかし、仏教上では今も皆様に語りかけている。
そうであって欲しい。
それにしても彼岸の時期なのに、僧侶の法話は先祖供養や墓参りの話ばかり。
そんな話は、さすがに皆聞き飽きている。
もう少し工夫をしていただければありがたいなあ。
再放送は以上です。(笑)
では葬儀設営の際、導師から「白道」を作るように指示されたことに対する
私のコメント、及び「白道」の分かりやすい説明を。
「善導独明仏正意」(ぜんどうどくみょうぶっしょうい)と正信偈にあります。
真宗のお通夜で、焼香案内のタイミングとして指示される人も多いのでは。
意味は、善導大師がただ一人、仏の正意…正しい教え…を明らかにされた。
このように親鸞聖人も仰っています。
善導大師とは、中国・唐の時代に活躍された高僧で、
南無阿弥陀仏のただ一つで往生することを明らかにされた方。
そして今日のテーマ、二河白道も善導大師の教えで、
阿弥陀仏の救いを説く比喩として有名です。(二河白道の喩え)
ではどんな喩えなのでしょう。
3月とは別バージョンでお届けします。
1ベル。
2ベル。(暗転)
さて、物語のはじまり、はじまり。
…ここは娑婆世界。
老若男女、悪人も善人も、ひしめき合って暮らしています。
喜怒哀楽の混沌とした迷いの世界が広がっていました。
そこに…西へ向かって、ひたすら歩いている旅人、珍念がいました。
(いやあ、久し振りに登場したな珍念、よっ珍念ガンバレ)
珍念は、一心不乱にただ歩いています。
西とは極楽浄土、そして珍念が歩いてきた東は現世の象徴。
どうやら珍念は何者かに追われているようです。
殺人鬼などの悪者や猛獣に狙われ、
追われている珍念の行く手を、大河が塞ぎました。
恐怖に引き攣り右往左往する珍念。
後ろの追っ手はすぐそこまで迫っています。
「もう駄目か…」
(いきなり話はクライマックスだあ)
すると眼前に…あーら不思議、忽然と白い一本道が現れます。
しかし、道幅はわずかに十数センチ(4~5寸)しかありません。
道の右側(北側)は、凄まじく荒れ狂う水河が押し寄せ、
道の左側(南側)は、猛火渦巻く火の河が迫っています。
(心の中で出来る限り怖いイメージをお願いします)
このまま進んでも、かといって戻っても…。
気が弱い珍念にとって、細い道をこのまま進むのはとても困難。
珍念は、絶体絶命の窮地に追い込まれました。
すると、対岸の西の方から声が…
「おーい珍念や、この道を渡っておいで」と阿弥陀様の声。
後ろ(東)からは、
「おいこら珍念、決心して行かんかいっ!」とお釈迦様の励ましの声。
そして、東西の声を頼りに進む珍念…。
かくして珍念は、一心に念じながら彼岸に到達したという。
(めでたし、めでたし)
※ かなりの意訳をお許しください阿弥陀様。(合掌)
※ ガラの悪いキャラにしてしまった事をお許しくださいお釈迦様。(合掌)
煩悩の河の間の細く延びた一本道、それが白道。
此岸から彼岸へと続く細い一本道、それが白道。
このお話は、信心について分かりやすく説かれたものです。
(私の意訳は、医薬みたいなもので、とても分かりにくく溶いた!ものです)
珍念とは、私であり、あなたでもあります。
さて本題に入りましょう…喩え話はそれでいいのですが、
何故? 導師入場の通り道に<白道>を作れと指示されるのか。
どう解釈すれば良いのだろう。
道幅は4~5寸と書いてあるらしいから、
幅にして15センチ程度。(一寸は約3センチ)
狭いよ、これはかなり狭いなあ、
坊主が袈裟着けて歩くと…落っこちないか煩悩の河に。(あっ失礼)
しかも本曲禄(椅子)も軽便も乗らないし、このサイズじゃね。
そうじゃないな、白道の上に座ること自体が迷っている証拠だ。
ここで立ち止まったら駄目だよね、彼岸に行けないもの。(笑)
もし、もし故人のために白道を作っているのなら、
狭い白道を渡るときに、坊主の存在が邪魔で珍念が渡れないしなあ…。
(浄土へ行く道を塞がないで、お願いだから…アハハ)
というわけで、考えられるのは演出上の効果でしょうか。
なんとなく勿体つけるの好きだからね。
説明も何もしないくせにさ。(大袈裟とはよく言ったものだ)
白道は一本道、それなのに設営した受講生から私が聞いた話では、
カクンカクンと直角に曲がっている道を作ったという。(坊主の指示で)
(入場の際の、ただの通り道かよ…アカデミー賞じゃないんだからさ)
この坊主は、私より意訳が凄いとしか思えない。
善導大師に怒られまっせ。
まあ色々とケチをつけましたが、施行担当者にきちんと説明して、
遺族にもお話を説いてあげて、その上で演出上の効果を狙うのなら悪くない。
ただし、僧侶が偉そうにしてはいけませんな。
謙虚でありたいものです。
履き違えた導師が多い気がするので、少しだけ意地悪を書きました。
以上。
<おまけ>
ついでに樒の由来について。
経机の樒のことも尋ねられたのですが、よく分かりません。
ただ土葬の際、上下に樒を敷く風習があったことは聞いています。
一説ですけど(正しいかどうか不明)、
例えば貴人は10尺、一般の人は7尺程度土を掘る。
地面の一番下に樒を敷く、玉砂利で整える、棺(座棺)を収める、
またその上に樒を敷く、水捌けのよい鹿沼の土などをかける…。
そのような話を聞いたことがあるのですが、
私はその時、樒は消臭の役割をするのかなと思ったのです。
(洒落ですけど、正宗の役割ってか…ゴメン)
ところが後日、オオカミが樒の匂いを嫌うと聞きました。
ということは、死者をオオカミから守るため…かもね。
昔から樒は墓地に植える習慣があるようですから。
(日本にオオカミいるのかよ…昔はいたさ)
ワオーン。(狼語で本日終了と言ってます)