小学校2年生の息子も、いつのまにか逞しくなってきたようだ。
ハッピを着ると、シャキッと見えるからあら不思議。
やっぱ日本人は、ハッピと浴衣だねえ。
子供会メンバー総出で、神輿を担いだり引っ張ったり。
子供たちは大喜びなのだが、実は付き添いの父兄の方が多く、
暑い中にもかかわらず、皆さん写真やビデオに大忙し。
地域を一巡りゾロゾロと練り歩いた後は、夜の部である盆踊り会場へ。
そこで一旦解散…というのも、父兄は模擬店の準備、
女の子は浴衣に着替えて再登場だしね。
自分が子供の頃も、盆踊りというと何だかワクワクしたのを憶えている。
今の子供たちも…こんなに娯楽が溢れる時代なのに、やはり同じ気持ちらしい。
昼の様子が、夜になるとこうなります。
お化け屋敷みたいです。
さて、ではお勉強を。
お盆は、正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)と言いますから仏教行事。
これはサンスクリット語の「ウッランバナ」の音訳。
意味はナント「逆さ吊り」…刑罰ですかね。(おそろしかー)
お釈迦様の弟子、神通力ナンバー1の目連尊者の母親が餓鬼道に落ち、
その母親を餓鬼道から救うため、お経の力を借りて…という伝説がある。
この話、誰が作成したものか不明なのではないでしょうか。
<親に孝>という、仏教的ではない発想だから、
仏教の政治的利用を目的に、多分中国で脚色されたものでしょう。
本来の仏教には、親だけを限定しての孝というのはないはず。
話がずれるので元に戻すが、
死後に苦しんでいる霊魂(先祖)を救い出すのがお盆の行事ということ。
ところが夏祭りの神輿といえば、これはどう考えたって神道の世界。
神道では霊魂を、「荒霊魂(あらみたま)」と「和御霊(にきみたま)」に分けていて、
先祖の霊魂は最初の段階ではまだ荒々しく、年月を掛けて鎮魂することで、
やがて浄化されていく…このように考えていたらしい。
そして、和御霊(にきみたま)の霊魂がカミと呼ばれ、
荒霊魂(あらみたま)の霊魂がホトケと呼ばれた。
ホトケが弔い上げを以ってカミになると…。(弔い上げとは通常三十三回忌)
(仏教の人は怒るかもしれませんが、神道の考え方ですから)
正月にお迎えするのは、カミになった先祖の霊魂で門松を伝わって招き入れる。
だから門松は依代(よりしろ)である。
仏教的には、位牌の元になった依代や形代(かたしろ)と同じだ。
雛人形の元になった「流し雛」なんかもそうだね。
私が過去のエッセイで、正月のカミが門松の枝に引っかかって
宙吊りになっていたらどうするの? 等と書いたけど、
もし逆さ吊りだったら、それこそ盂蘭盆会だー。
お盆に招くのはホトケであって、神道的には荒霊魂(あらみたま)である。
まだ浄化されていない先祖の霊魂ということ。
お盆になると仏壇の前に精霊棚を設え、先祖の迎えと送りの行事があるはず。
精霊棚(しょうりょうだな)の精霊とは、荒霊魂(あらみたま)のことだ。
精霊流しや大文字の送り火で分かるように、死者の霊魂が住む世界は、
海の向こうの遠くか、山の上の天上にあると考えられていた。
(仏教はこれを、○○浄土という形で明確に限定します)
そして海と山(天)が遥か遠くで一つになるようなイメージもあったことでしょう。
(水平線や地平線の彼方)
<余談>
漠然とカミが住む場所であった山の上(山頂)。
だから山は昔から神聖な場所とされてきた。
ところがそこに、最澄は寺院を建立する。(比叡山延暦寺)
これは画期的なこと。
神聖なカミの領域を仏教が凌駕していくことになる。
しかし、そのためには大義名分が必要だった。
京都の鬼門の方向に比叡山があり、都を守護するために…建てるのだと。
んー、なかなか面白い。
そのうちじっくりレポートしましょう。
ところで、盆踊りと獅子舞。
先祖の荒霊魂を静めるための踊り(盆踊り)と、
先祖の和霊魂を迎えるための舞い(獅子舞)が、明確に区別されている。
「踊り」は縦の動きが中心、「舞い」は横の動きが中心だ。
だって目的が、魂鎮と迎魂とに分かれるわけだからね。
(そんなもんかい)
昔はお盆にも「おめでとうございます」と言っていたらしいですぞ。
因みに、長崎の精霊(しょうりょう)流しは、「しょうろうながし」と音便化し、
関西の「おしょろ(う)」さんは、「お精霊」のことです。