以前にも書いたが…ちょいとばかし事情があり…
私は息子のようにかわいがっていただいたという経緯がある。
しかし通夜・葬儀には参列できなかったので、どうしてもケジメをつけたかったのだ。
亡くなった日は研修の当日で神奈川、翌日は東京で研修を行っていた。
思えば、岳父が亡くなった時も三重、翌日は愛知で研修をこなした。
私の仕事は先にスケジュールが押さえられるので身動きが取れない。
(いつも不義理をしてしまうのです)
当日は3時間以上にわたってゆっくりと会が進行。
座敷で膝を突き合わせて、食事を取りながらガヤガヤと…。
高齢の方が多かったので、この方式で良かっただろう。
気取らない雰囲気の中、皆で故人を偲んだ。
もちろんFUNETからは特別バージョンを提供させていただいた。
一つは追悼文の小冊子カラーバージョン。
12ページに及ぶ、思い出の写真と遺族の言葉で構成されたライフヒストリー。
短時間では作成不可能なので、本システムにはまだアップしていない。
(現在システム開発中)
工場長がデザインに凝って、鳥が大空へ飛ぶ雲の形を作ったが、
苦労して作成した割には誰にも気づかれなかった。(トホホ)
ページを捲れば…FUNETの追悼文原稿と思い出の写真が満載である。
そして5人のお孫さんからのお別れの言葉やエピソード。
娘から父への思いと、妻から夫への感謝の言葉。
最後に2.000字に及ぶ長女の遺族代表挨拶。
(これだけでも充分な追悼文になっている)
写真も30枚程度とふんだんに盛り込んでいるし、
追悼文と同じく故人の人生を辿った読み応えたっぷりの小冊子となっている。
もう一つはDVDの長編バージョンだ。
35枚以上の思い出の写真と言葉で綴る約12分程度のスライドショー。
こうした品で、今後も故人を偲んでいただけたら幸いである。
閉会後はホテルの部屋に戻り、年配組みは昔話が尽きないよう。
私は若者チームに紛れ込んで大阪観光となった。
まずは夜の海遊館…さすがに大きな水族館で見応えがある…が、
ベタつくカップルも多く、引率の小学生の教育上が心配だー。
しかしライトアップされた外観はとても素敵でした。
(アベックの気持ちも分かる)
次は戎橋へゴー!
有名なグリコの看板に子供たちは大喜び。
しかし橋の両サイドに建てられた飛び込み禁止のアクリル板には興醒め。
そして騒音にしか聞こえない街の喧騒…賑やかというのかこれを。
大阪名物「くいだおれ」でホントに食事。
(店の中に入るのは初めてだよ)
そして吉本グッズのお土産屋を経由して法善寺へ。
工事中で夫婦善哉はパス、新築されるビル内に店舗が入るらしい。
(あー甘いもの食いたかった、残念)
さすがに、もう疲れた。
明日は納骨で神戸から鵯越墓苑にまで向かうからさすがに帰りましょう。
学生諸君許してくれ…というわけで、やっとホテルへUターン。
こうなってくるとちょっとした修学旅行状態。
孫達のために、故人が社会見学させてくれたと思えばいい。
翌日は朝から移動、兵庫県の鵯越墓苑を目指す。
義経の鵯越の逆落としで有名な地である。
なるほど、険しい道が続いている。
到着して驚いたのは、墓苑の広さ。
苑内をバスが循環し送迎してくれるが、これだけ広ければ…と納得。
無事に草むしりと納骨を済ませ、暑さと疲労で全員バテ気味。
これで今回の納骨ツアーは予定を終了。
生まれ故郷に帰って来られて、故人も納得してくれただろう。
南無阿弥陀仏。
さて帰路の飛行機までの半日。
神戸から決勝再試合の甲子園見学に向かうチームと、
新大阪経由でゆっくりと伊丹に向かうチームに分かれて行動。
私はもちろん子供引率でゆっくり組。
大阪へ戻って京都風のお好み焼き「わらい焼き」を食べてのんびり。
夕方伊丹で合流し、皆は福岡へ、私は羽田へ。
両手一杯の大阪土産がとても重そうだった。
お疲れ様でした。
この2日間、30年前の様々な出来事が脳裏に浮かんだ。
思えば不思議な縁で結ばれた関係だが、
今では5人の孫たちに命のバトンが受け継がれている。
人と人の絆は目に見えないけど、何かを感じた2日間。
故人のお孫さんたちにも何かが残ったはず。
それは故人の生きた証であり、故人の思い出を締めくくるものであったはず。
単なる大阪旅行ではない、遺骨と過ごした2日間の道のり。
ただ私は…元気なうちにもっとお会いしとくべきだったと反省しきり。
浄土で笑ってくれているだろうか。
合掌。