司会を軸に据えた講座だが、総合的な業務能力の開発を心掛けているので、
出来る限り多くの情報を提供させてもらっている。
この講座には夜の懇親会もセットされていて、あちこちで葬儀談議に花が咲く。
有意義な話がたくさん聞けたし、受講生同士の情報交換も盛ん。
皆さん地域は変われど、似たような悩みを抱えていらっしゃるようだ。
今回、たまたま私の隣に座った和歌山の女性がザルで(ゴメンネ)、
注がれるままにビールをグイグイとやっていたら…、
少し油を注し過ぎたようで、部屋に戻ってバタンキューだった。
一時間ほどして目が覚め、慌ててお風呂へ。
参ったね、最近アルコールに弱くなったよう。
皆さん、懇親会で座る席には充分注意いたしましょう。(笑)
今、喉が赤く腫れているようだ。
2日間相当喋った、明石屋さんまのように。(倒置法で強調してる)
費用対効果で見た場合、機関銃喋りの私の効率は悪い。
清原の一打席や高倉健のひとセリフと比べたら…絶望的。
(比べる相手を間違えてる…とも思う)
そういえば加藤も猛烈喋りだから、あいつも費用対効果が悪いなあ。
それにひきかえアシスタントの石川はかなりの効率の良さだ。
そこで今回、石川には特別指令を出した。
せっかく2日間、受講者と一緒にいるわけだから、
「インサイドレポートをエッセイにするように!」と。
(石川は、どうせ暇そうだしさ)
鋭く受講生の心理を抉り出すような、秀逸なレポートを期待しまひょ。
(これが取材中の様子、どうみても雑談のようだが…)
そこで私は、受講者から教えてもらった各地の習俗をレポートします。
まずはりんごの青森から。
不幸があったお宅の玄関両脇には、6尺位の棒で×印を造る習慣があるらしい。
じゃあ結婚の時は○印を作るのかって…そんな訳はないだろう。
私の頭の中で巨大な○と×を想像したら、
アメリカ横断ウルトラクイズを思い出してしまう。(古っ)
それは冗談だが昭和30年代から40年代を九州で育ったせいか、
台風に備えて各家庭が自宅を補強したのとイメージが被ったよ。
旅支度の頭陀袋には、米・味噌・お茶の葉とか。
そして草鞋に五円玉を挿し込む…
一枚挿すと隙間が出来るので何枚でも入るらしい。
さすがに火葬場がうるさいらしく、最近は控えているとのこと。
また葬列の際、通った道の辻々に角蝋(かどろう)を立て、
死霊が道に迷わないようにと印を残していくらしい。
(チルチルミチルかいっ!)
これは凄い、全国の習俗とはまったく逆だ。
一般的には葬列の往路と帰路の道をわざわざ変えて、
死霊が道に迷って付いて来ないようにするからね。
青森…深すぎるようー!(クールポコのオチ風に)
次はみかんの愛媛から。
一部の地域では夜中に納棺する習俗があって、
夜の11時、12時…酷い時には夜中の1時から納棺というケースもあるとか。
ただし、霊魂は夜間に活発に彷徨うと信じられていたから理に叶っているかも。
そして翌朝にはセレモニーがあるので飾り付けが大変だって。(そりぁそうだ)
旅支度の頭陀袋には、米・麦・粟(あわ)・黍(きび)・稗(ひえ)で、
これをもって五穀と仰っていた。
(一般に五穀は、米・麦・粟・黍・豆のこと)
死者に豊かさを供える気持ちは良く理解できますね。
でも、愛媛…納棺遅すぎるよう、眠くなっちゃうよー!(クールポコのオチ風に)
本来、死者を葬る葬送のやり方は日本人の民俗信仰として独自に存在していたが、
それを仏教が取り上げて仏教的世界観の上に再構築したものだ。
長い年月を経るその過程において、宗教(仏教)と習俗が地域ごとに融合し、
重層化や文化変容が起こったから、宗教・習俗の要素は分かちがたく交じり合っている。
各地域の葬送儀礼の差異は誠に面白いですな。
では明日は続きを。
…引き伸ばすのかよー!(クールポコのオチ風に)