社長到着の10時までの間、
私はパネル(32枚)の設置場所を勘案している。
予定されていたメモリアルコーナーに全てを入れるのは難しい。
しかも、予定されていた場所は、受付から式場までの導線上だ。
会葬者は800人が想定されている。
40人程度しか入らない空間で、導線を止めてはいけない。
導線が円滑にいくことが、
設置レイアウトに関しては最も重視すべき点だろう。
そこで、Mさんに事情を説明して、
予定されていたスペースでは全てのパネルが入りきらず、
また導線の問題もあるので、パネルの設置位置を分割することを提案する。
難なくOK。
その後で花屋さんにも趣旨を説明し、
新たにパネルを設置する箇所にも花を分けてもらえるように提案。
それで、下のようなメモリアルコーナーが完成した。
(もはや準レギュラーの領域です。)
10時。社長が到着。
DVD映像をMさんに最終確認をしてもらっているが、
私も、パネルの設置をしながら横目に気になる。
「うん。問題ない。」
と、聞こえたような気がする。
Mさんも、ぎこちないウィンクで、私に喜びを伝えている。
DVDの問題は、クリアした。
その後、嬉しかったことが一つ。若い私のところに社長が来て、
「色々大変だったでしょう。どうもありがとう。」と、労ってくれたのだ。
とんでもございません。本当に恐縮です。
トップにおられる方は、気配りの天才だなと思う。
それは、JAくるめのO所長もそうで、
昼時に所長が手招きするので行ってみると、
なんと昼食が準備されていたのだ。
「何も食べていないでしょ。」と。
本当にありがとうございます。
(ちなみに、夜はMさんに連れられてラーメンを食べていました。
大砲ラーメン。替え玉して写真とっていると、笑われました。)
そんな感じで、気がつけば、
工場長はすっかり久留米に馴染んでおりました。
ははは。
…九州の方言も覚えにゃならんと。
そげんして社員の皆様とも、より仲良くなるとばい。
ばってん、これが終われば関東へ戻ると思うと…、
少し寂しさも過ぎるのであります…。
さて、ここからは式場設営の写真をどうぞ。
言葉で書くよりも写真を見てもらった方が、伝わると思いますので。
この祭壇は、アルミを専門にしている故人の会社皆様が、
この日のために手作りで製作したものです。
全てアルミで作られた祭壇です。
2週間という限られた時間の中で全力を注ぐ会社の団結力は、
故人の精神を受け継いでいるものだと感じました。
それでは、社葬本番の様子は明日書くとばい。
<井手の割り込み>
おいおい、オールスターキャスト勢ぞろいだね。
それから、俺のパターン真似して下手な九州弁使っても無理があるなあ。
久留米の皆さん、工場長が一人で掻き回してご迷惑をお掛けしました。
担当のM尾女史には、すっかりなついてしまったようで…。
大変お世話になりました。