昨年あたりから、ホームページの閲覧数が増えていることは聞いていた。
ただ、私には閲覧者がどこに住んでいて、
どのような職種の方々が読んでくださっているかは分からない。
エッセイに書いてきた内容も、読んでくれている方を特に意識はせずに、
研修会や私的なこと、日々の体験したことや感じたことを、
書きたいように書いている。
問い合わせ頂いた病院の職員の方は、
私の接遇講師としての活動や、病院ボランティア活動の記述に目をとめてくださった。
ホームページを通じて私にご連絡をいただいたことは、とても嬉しいことだった。
そして、今年の2月、
その病院で「ボランティアスタッフ向け・接遇研修会」が予定された。
病院ボランティアという分野は、欧米諸国では長い歴史を持つという。
多くの年配の方たちが、
病院で誰かのために生き生きと仕事をするという話を聞く。
日本でも、都市部にある大きな病院などで、
ボランティアスタッフの活動が盛んになっている。
ボランティアとは、無償で誰かのために奉仕をするという尊い活動である。
ボランティアをしようと思う個人の理由は様々であるが、
温かい志を持ってその目的のために集まる人々の力は、
とてつもなく大きなパワーを秘める。
病院と言う空間には、健康に不安を持っている患者様が多くいる。
不安を持った人々にとって、誰かが自分を気にかけてくれて、
手を貸してくれるということは、本当に心強く嬉しいことである。
一方で、病院の職員は失敗があってはならない業務をこなしながら、
それ以外のことに気を遣うことは大変なエネルギーを要する。
患者様へのサービスの部分まで手を下すことは、
限られた人数の病院職員だけでは、
気持ちはあっても全てには行き渡らないことが多いかもしれない。
その部分を補うためにも、ボランティアスタッフの活動が必要になる。
私も実際に、病院ボランティアとして活動しているが、
病院職員の仕事の多さには驚いた。
また実際に活動する中で、医療行為以外の部分でボランティアスタッフができることが、
たくさんあることにも気づいた。
病院職員ではないからこそ出来ることもたくさんある。
これからは、市民の目で病院をチェックするという機能も、
ボランティアスタッフには課された仕事になっていくかも知れない。
それだけに、不特定の人々が集まるボランティアスタッフの質が、
大きな課題になって行くだろうと感じる。
今回の接遇研修会ご依頼に至っても、病院内で様々な問題を抱えているとお聞きした。
私が、ボランティアスタッフとして関わっている病院は、キリスト教の病院である。
私はその宗派ではない。
そしてボランティアチームの中心はチャプレン(牧師)だが、
宗教に関係なくボランティアスタッフを募集しているし、
活動そのものも宗教は何ら関係ないことが分かる。
看護大学の講師である知人に、
「キリスト教の病院だから、スタッフ教育が上手く行っているのですね」
と言われたことがある。
ただ、それはあまり関係が無いように感じる。
必要なのは、ボランティアを活動させようとする病院側の確固たる理念や、
職員の姿勢であり、その上に立ったボランティア教育であり、
最終的には、ボランティアスタッフ個人の資質だと思う。
今回の接遇研修会では、
ボランティアスタッフを受け入れる病院側として、
どのような問題を抱えているのかをリサーチすることも重要である。
短い時間の研修会を、より良くポイントを抑えた内容にするために、
私に何が伝えられるかをよく考えようと思っている。
近い内に打ち合わせに伺う予定である。
又、エッセイを通じてご報告させていただきたいと思う。