学校が嫌いというわけではないようです。
この時代、高校生には様々な選択肢があり過ぎて、
せっかく入学した高校をあっさりとやめていく友人もいました。
何かがやりたい。
でもそれが何か分からないという悩み…。
親としては、「本当に息子がやりたいことがあれば、それをサポートしてあげたい」
という思いがある反面、
「お願いだから、高校だけは卒業して欲しい」という気持ちの葛藤もありました。
高校をやめてしまった友人が、
フリーターや引きこもりのようになって行く現実を見ながら、
「わが子には、そうなってほしくない」という気持ちも強かったのです。
息子の年齢になれば、一人の独立した人間です。
親だからといってコントロールは出来ません。
でも、まだ考えることは子供のようなところもあり…。
本当に難しい年頃でした。
親の個人的な感情でぶつかっても決して上手くは行きません。
力だって多分、父親と取っ組み合いなどをすれば、
親の方がコテンパンにやられること間違いなしです。
1年生の頃は、ほとんど父親と話をすることは無く、
私がその間を取り持った時期もありました。
2年生の頃は「あなたは、何がやりたいの?」「これから、どうしたいの?」を
問い続けた時期でもありました。
思いと行動がつながらない、どうしていいのかも分からない…。
思春期の子供が越して行く複雑な気持ちをどう支えていいものか、
刺激をしないように気をつかいながら、迷う日々でもありました。
息子の問題を引きずったまま出張に出て、
移動中に夫と電話でやり取りしたこともありました。
そして3年生になった頃、いい意味で吹っ切れた息子は、
だんだん父親とも話すようになり、アルバイトにも励み、
色々な意味で世の中を経験し、口数も増え笑顔も見えるようになり、
随分と落ち着きました。
親としては、のどまで出かかった言葉を我慢して飲み込むことも多かったですが、
結局は、親の気持ちを押し付けずに、
黙って見守ったことがよかったのだと思っています。
漢字で例えると「忍」の一字でした。
まだまだ子供だと思っていた長男が、卒業式の朝、
私と夫のそれぞれに、「18年間育ててくれて、ありがとうございました」と言いました。
まるでこれからお婿にでも行ってしまうような言い方に、私は「ドキッ」としました。
そして、
「こちらこそ、ここまで育ってくれてありがとう。これからもよろしくね!」
と、応えました。
私が家にいる日は毎朝見送った息子の制服の後ろ姿も、
この日で見納めなので、デジカメに残しました。
1,2年生の頃は、写真を撮られることも嫌がっていたのに、
今はこうして気にすることもなく収まってくれます。
卒業式では、デジカメとビデオカメラで、息子の姿を撮りまくりました。
卒業式は、とても感動的でした。
一つ一つの儀式に演出がされていて、多分随分練習されたことだと思います。
見事でした。
3年間この高校で、この恩師の下で頑張った子供たちが、
本当に晴れ晴れとした言い顔をして巣立って行きました。
今さら息子の卒業式で、こんなに涙が出るとは思ってもいませんでした。
大きくなったなあ…という安堵感と、この手から離れて行く寂しさと。
私より涙もろい夫も、隣で涙をぬぐっていました。
なんせ保育園の卒園式で、親から子供にお祝いの言葉をかける場面で、
周りをはばかることなく号泣した夫です。
我が息子は、皆勤賞も精勤賞も縁がありませんが、
母親としては、とにかく無事に「卒業証書」(私は、卒業領収書と言っていますが)を
もらえたことと、心も体もすこぶる健康で、
思う存分に高校生活を満喫してくれたことを賞して、表彰したい気分で一杯です。
今長男は、少年から青年に、そして大人の男へと成長して行く人生の中で、
一番若々しく眩しく輝いている時期です。
その息子をこの目でしっかりと見つめながら、
親としてももう少し楽しみたいと思っています。
これからの進路では、又、何かにぶつかることでしょう。
そんな時には、思いっきり体当たりでぶつかれと言いたい。
思う存分に迷えと言いたい。
人生はこれからが本当の勝負だ!ファイト!卒業、おめでとう!
PS.
卒業式の翌日、最後の洗濯をした制服シャツの「第2ボタン」が無くなっていました。
誰にあげたのかなあ?? 青春っていいなあ。