葬儀におけるナレーションは主観である。
ナレーションを語る司会者の主観が色濃く反映している。
実際は取材して聞いた話も混じっているが、全体として主観の表現だろう。
また同じ文言を言うにしても、司会をする人が違えば、
それを聞く人の感じ方が違ってくるものだ。
よって、主観の表現ということになる。
主観の表現をするには、何より「間」が大切。
そして「音の高低」と「速度の変化」。
これらを使ってリアリティを導き出さなければならない。
これは相当難しい。
さて主観の表現の場合、俗に言う「やり過ぎる」と反感を買うケースがある。
何故だろうか? 理由は、
1.技術が下手。(読みが下手くそ)
「間」と「音の高低」と「速度の変化」がバラバラで、
現実味に乏しく、聞いていて不快感を催す。
2.内容が著しく異なる。(例えば、仰々しく讃え過ぎるなど)
事あるごとに美辞麗句で飾り立て、身内が聞いていても気恥ずかしく、
死ねば誰でも素晴らしい人生だったのか…と不満に思い、
そんなことなら最初からナレーションなんかやらないで欲しいと。
とまあ、こんなところだろう。
主観の表現は、その「内容」とそれを支える「技術」である。
このどちらもが嵌った場合は素晴らしい結果をもたらすが、
そうでなかった場合は、実に恐ろしい結果を招くことにもなる。
「葬儀にナレーションなんかいらない」という人の気持ちはここにある。
自分自身を良く知り、読み癖など、技術的短所や長所を知らないと恐ろしい。
本人には自覚が無いのだから、どうにもこうにもならない。
人前で何かを読むということは、簡単なことではないのだ。
主観による演出の難しさは、ごく少数の人がホームランを打つ、
が多数の人は三振もする…あんまり譬えが好くないか。
しかしホームランを打ちたくて、いやせめてヒットを打ちたくて…であろう。
FUNETでは、そのどちらもカバーしている。
膨大な司会音声で技術をマスターし、ナレーションの提供で内容もある。
程よく詰めていってもらいたい。
現在、葬儀司会に於いてナレーションは外せない。
さて、客観表現とは何だろう?
客観とは、「私」の認識だけではなく「他者」との認識の一致だ。
ここに遺影写真があるとしよう。
一枚の古い写真であり、懐かしい写真だ。
この写真を見ている参列者は、故人との関係性の違いによって、
写真から思い起こすことが違っているかもしれない。
ある人は、過去の思い出となった出来事を呼び起こし、
ある人は、故人の若い時はこんな感じだったのかと少しばかり驚き、
ある人は、初めて眼にする故人の姿に、息子さんはお父さんソックリだ…。
しかし現実に見ている遺影写真は、紛れもなく同じ1枚である。
同じ1枚の写真が、参列している方に何を見せているかは分からないのだ。
客観を見せた場合、人は自分の中で主観に転化してしまう。
人間とはそういうものだ。
例えば人混みの中にいて、ある人の声だけを聞き取ろうと必死になることがあるけど、
実際に意識してそれが出来るのだ。
全員の声が、ある人にはバラバラの喧騒でも、
目的の声があった場合には、聞き分けることが出来るのだ。
聞きたい声だけを中心に聞くということが、実際に起きている。
遺影写真の見方も同じで、その写真から見たいものを人は見るのだ。
それぞれが導きたい映像へ、勝手気ままに繋がっていくのだろう。
優しさ、逞しさ、包容力、心の温かさ、健気さ、誠実さ…
客観で置かれた遺影写真に、想像力を働かせ、そして感受性の力で主観に変える。
客観表現とは、誰もに同じものを提供しつつ、
それを自分自身で主観に転化させることが出来やすいもの…がベストだ。
思い出の品なんか最高だし、そこに意外な喜びや驚きが隠されていたり、
故人のアルバムも好い按配にチョイスできれば…と思ったりもする。
FUNETでの客観表現コンテンツは、追悼文、ヒストリーパネルがある。
ただ追悼文は、客観で書かれた文章に、主観の「遺族の言葉」が入るのだ。
そういう意味で、訴求性が大きく、今流行の「家族葬」向きであろう。
家族葬とは、遺族の不安や想いや望みをどれだけ満たしてくれるかである。
型通りの流れ作業ではなく、人を感動させる葬儀のあり方だと思う。
決して安価な葬儀ではあるまい。
追悼文に嵌る企業は、
ナレーション一辺倒だったものがバリエーションも増えるので、
と思ってチャレンジしたら意外に受けて…と現実に増えてきている。
「遺族の想いを大切にする」というのが、どれほど大きいことか。
是非一度トライしてもらいたい。
そしてヒストリーパネルは、写真が11枚。
遺影写真が11枚並ぶと思ってくれて良い。
祭壇には1枚しか乗らないかもしれないが、11枚もあれば、
まして飾る場所が思い出コーナーならば、皆が自由に故人を偲べるはずである。
一人の写真もあれば、家族の写真もあり、バラエティに富んでいる。
祭壇の前の雰囲気とは違った形で、故人を偲べるのだ。
主観と客観は、上手に使い分けることが可能である。
それぞれに特色があり、効果的に活用することをお勧めしたい。
詳細は、セミナーなどで。