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2007年03月08日

ボランティア再考 (工場長)

カテゴリー : MCエッセイ 七転八起

ボランティアって、日本語にすると何だろうか。
社会奉仕?奉仕活動?…なかなかスッと収まる単語が出てこない。
ボランティアは、ボランティア。
英語がそのまま日本語になっている単語も多いが、
ボランティアもその一つかもしれない。
ただ、正確な日本語訳の無い言葉は、
その意味も曖昧になっているだろう。
先月、加藤さんの病院ボランティア研修会を見学し、
そう感じた。

2月下旬の週末に行われた病院ボランティア研修会には、
その病院でボランティアをしている元気な高齢の方が、80人程度参加された。
休日だというのに、素晴らしい参加者数だ。
しかも、熱心な方が多かったようで、メモを取っている人も何人かいた。

加藤さんも講師として“舌”好調で、
1時間強という少ない講義時間の中、
落ち着いた速さで多くの内容を伝えていた。
座学だけでなく、笑顔や挨拶の実演トレーニングもあり、
実際に身体を動かして練習をすると、受講者は盛り上がっていた。

さてさて、今回の研修会を見学して、印象深い言葉があった。

「ボランティアを受け入れること自体が病院のボランティア」

だから、皆様も病院にあまり無理を言ってはいけませんよ…
と続くわけだが、私は別のことを考えていた。
「病院のボランティア」という言い回しが、何か引っかかる。

ボランティアには3原則があって、
それは自主性、無報酬、公共性である。
ボランティアも、それを受け入れる病院も、
この原則に則っているはずである。
無報酬と公共性は、理解できる。
「病院のボランティア」と聞いて引っかかったのは、
病院(企業)のボランティアに「自主性」があるのか?という点だろう。

というのも、「自主性」には「積極性」が付随している。
例えば、アメリカの学校でロールプレイの授業で、
前に出て実演してくれる人を募る際、先生は、
「Volunteer?(やってくれる人いない?)」と聞く。
ボランティアは、受動的には出来ない。

なぜ病院はボランティアを受け入れるのか?
その理由を考えた時に、果たして積極的な理由があるのかと思う。
・人手が足りない
・人を雇うと費用が掛かる
・国や県が助成してくれる
病院は公共機関ではあるが、企業活動でもあるから、
何らかの利益追求か公共性追求に積極性が見出せるとは思うが…。
・社会的な善意
ということなのだろうか。
確かに、リタイア世代の生きる活力として、
ボランティアは社会的に価値があると思う。
それに公共機関として病院側が積極的に一役買っている、ということだろうか。

なかなか難しい言葉だなぁ、ボランティア。
特に、企業のボランティアに関して、今後も意識していきたい。

<加藤のつっこみ>

加:「高齢者」は、80歳以上の方を指すと捕らえる人も居るから、
  この場合は、「リタイア世代」の方が良いでしょうね。
工:あちゃー60歳以上を総称して「高齢者」と使っていました。
加:60歳位の人は、遺憾の意を表明するわよ。今後、気をつけなさい。
  あと、ボランティアを実際やってみなさいよ!
  実際にやってみるとまた考えが変わってくるから。
工:最近はご無沙汰ですが、昔は結構やっていたんですよ。
  阪神大震災をはじめ、ナホトカ号座礁の時や、養護学校や老人ホーム等で。
  そういう経験も書こうと思ったのですが、締め切りが着ちゃいまして。
加:書きなさい。今のままだと頭デッカチ。
工:…はい。では、過去を振り返りつつ、改めて考察してみます。
加:(やっぱり頭デッカチになりそうだわ)

そんな訳で、ボランティア第二段を近いうちに書きます…。

投稿者 葬儀司会、葬儀接遇のMCプロデュース : 2007年03月08日 09:29

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