2月下旬の週末に行われた病院ボランティア研修会には、
その病院でボランティアをしている元気な高齢の方が、80人程度参加された。
休日だというのに、素晴らしい参加者数だ。
しかも、熱心な方が多かったようで、メモを取っている人も何人かいた。
加藤さんも講師として“舌”好調で、
1時間強という少ない講義時間の中、
落ち着いた速さで多くの内容を伝えていた。
座学だけでなく、笑顔や挨拶の実演トレーニングもあり、
実際に身体を動かして練習をすると、受講者は盛り上がっていた。
さてさて、今回の研修会を見学して、印象深い言葉があった。
「ボランティアを受け入れること自体が病院のボランティア」
だから、皆様も病院にあまり無理を言ってはいけませんよ…
と続くわけだが、私は別のことを考えていた。
「病院のボランティア」という言い回しが、何か引っかかる。
ボランティアには3原則があって、
それは自主性、無報酬、公共性である。
ボランティアも、それを受け入れる病院も、
この原則に則っているはずである。
無報酬と公共性は、理解できる。
「病院のボランティア」と聞いて引っかかったのは、
病院(企業)のボランティアに「自主性」があるのか?という点だろう。
というのも、「自主性」には「積極性」が付随している。
例えば、アメリカの学校でロールプレイの授業で、
前に出て実演してくれる人を募る際、先生は、
「Volunteer?(やってくれる人いない?)」と聞く。
ボランティアは、受動的には出来ない。
なぜ病院はボランティアを受け入れるのか?
その理由を考えた時に、果たして積極的な理由があるのかと思う。
・人手が足りない
・人を雇うと費用が掛かる
・国や県が助成してくれる
病院は公共機関ではあるが、企業活動でもあるから、
何らかの利益追求か公共性追求に積極性が見出せるとは思うが…。
・社会的な善意
ということなのだろうか。
確かに、リタイア世代の生きる活力として、
ボランティアは社会的に価値があると思う。
それに公共機関として病院側が積極的に一役買っている、ということだろうか。
なかなか難しい言葉だなぁ、ボランティア。
特に、企業のボランティアに関して、今後も意識していきたい。
<加藤のつっこみ>
加:「高齢者」は、80歳以上の方を指すと捕らえる人も居るから、
この場合は、「リタイア世代」の方が良いでしょうね。
工:あちゃー60歳以上を総称して「高齢者」と使っていました。
加:60歳位の人は、遺憾の意を表明するわよ。今後、気をつけなさい。
あと、ボランティアを実際やってみなさいよ!
実際にやってみるとまた考えが変わってくるから。
工:最近はご無沙汰ですが、昔は結構やっていたんですよ。
阪神大震災をはじめ、ナホトカ号座礁の時や、養護学校や老人ホーム等で。
そういう経験も書こうと思ったのですが、締め切りが着ちゃいまして。
加:書きなさい。今のままだと頭デッカチ。
工:…はい。では、過去を振り返りつつ、改めて考察してみます。
加:(やっぱり頭デッカチになりそうだわ)
そんな訳で、ボランティア第二段を近いうちに書きます…。