インターネットに繋がらない生活。
人によっては、それはそれで良いものかもしれませんが、
私にとっては、タバコと一緒で無いとストレスになっていました。
新聞やテレビがあるので、大きな事件などはわかるのですが…。
私が欲しい、細かい、ニッチな情報は得られない。
インターネットという情報網から遮断されると、
なんだか数年前にタイムスリップしたような、
自分だけ時間が止まったような、置いてきぼりを食らったような。
気にしなければ良いのでしょうけど、
インターネット上の情報は刻一刻と変わっていくので、
ついつい気になってしまうのです。
弊社の日記も、ほぼ毎日更新されますし。
久しぶりに旧友に会うのと一緒で、一瞥すれば安心するのでしょうけれども。
歯痒い感じだけが募っていました。
改めて、インターネットは便利だと実感した次第です。
むしろ、私がインターネット中毒になっていると言うべきかもしれませんが…。
(今に始まったことではありませんが。)
今後、もっとインターネットが発展していけば、
私のような中毒者は全体的に増えていくのでしょうね。
少し前に、葬儀社の方から、
「遺族控え室にコンピュータを置くにあたって、注意するべき点はありますか?」
という趣旨の質問をもらいました。
遺族控え室に、遺族のためのコンピュータを置くようにするのでしょう。
私のようなインターネット中毒者にとっては、1つのサービスになると思います。
会館で一晩泊まる人にとっては、非常にありがたいのではないでしょうか。
(該当の質問に対しては、セキュリティ、情報漏洩予防の観点から、
いくつかのポイントを連絡しました。)
ちなみに、インターネットが繋がらなかった生活で1つ良い点があるとすれば、
時間がゆっくりと流れている感じがしたことでしょうか。
年が明けて、アッという間に5ヶ月経った感じがしていましたが、
インターネットに繋がらない1日は、非常に長く感じました。
あ、もう1つ良かったこと。
持て余した時間で見た映画が、とても良かった。
「時をかける少女」
アニメですが、良作です。
見てない方は、見て損は無いと思います。
【 余談 】
法事は、祖父の3回忌と祖母の17回忌を合わせて行ったのですが、
菩提寺の坊主が情けなかった。
仏壇に【戒名】と【命日】を書いた紙を置いて読経を始めていったのですが、
命日を、両方とも間違えている…。
祖母は2週間程度、祖父は5日のズレ。
気がついた遺族は、目が点でした。
仏教(浄土真宗)では、命日はそれほど重要ではないのでしょうか…。
法要はそのまま続いていきましたが、
法要が終わってから、施主の叔母さんは激怒していました。
(お布施から間違った日数分を差し引きましょうぜ。)
まったく、命日を忘れていたなら、確認をして欲しかった。
大事なところが抜けている坊主は、困ったものです。
宗教はサービス業じゃないけど、
サービス業なら閑古鳥の鳴いているでしょうね。
『菩提寺なのだからしっかりしてよ、お坊さん』と、
叔母も思っていたことでしょう。
お墓参りの際には、過去帳を辿った先祖の繋がりを話してくれて、
先祖のことは確り管理していますよとアピールしていた坊主。
如何せん、祖父母の命日は間違ったまま法要が終わってしまって、
過去帳に誤った命日が記されているかと思うと、気分はすこぶる憂鬱でした。