前日は早目に入り、会食に参加するので皆さんの事が分かる。
そこでの自己紹介は個性も、地域性も出て面白い。
やたらと入社したての人が多く、全国の葬儀事情もバラバラなのに意見が噛みあわない。
当たり前だ、皆さん自分の地域のやり方が主流だと思っているからね。
(今回はお骨で葬儀をやる地域が極端に少ないバランスだったな)
私の隣に、私の地元・福岡の方がいらした。
系統の中での福岡のやり方の特徴は、外注に頼りすぎること。
司会もセレモニーレディも外注が多い。(他地域のJAと比較して)
都市部だしアウトソーシングが発達しているからだが、
それと業務を投げ出すのとは違うはず。
第一、葬祭ディレクター試験で苦労する。
最低限の実務でもいいから、まず担当者になる前に経験して欲しい。
はっきり言ってしまえば、使えないタイプが多すぎる。(気がする…ゴメンネ)
他のJAと比較して、「落ちる」のは否めない…残念!
新人で来た早々にこんな話、負けずに頑張ってください。
その会食の前・・・私は遺体の取り扱いや納棺や、
祭壇飾りなどの授業を見学しながら思った。
うむうむ、なかなか面白い記事が参考資料として出ている。
「死後の世界」と題した記事の抜粋…。
因果応報から、死後の6つの世界(天・人間・餓鬼・畜生・修羅・地獄)、
中陰…冥途の旅、死出の山、三途の川や賽の河原…。
所謂howto物であろう。
新人には丁度手頃で、分かりやすく書いてある。
ただ、どっかのクソ坊主も法話で同じような事を話すだろう。
葬儀社のプロの視点でモノを見たときに(勿論新人さんだから将来だろうが)、
howto物では物足りないのでは…。
まして現代の葬儀事情と絡めて考えると、前述したような「死後の世界」に(輪廻観)、
リアリティは維持しがたく、新しい死後の物語を作り出せるかというテーマも重要。
屁理屈をこねるわけではないけど、満中陰で新たな世界に生まれ変わる…
というのがインドの仏教の基本なのに、百か日、一周忌、三回忌…とは?
墓も位牌もないインドの仏教が、いつの間にか日本式に変わった理由は?
様々な神仏習合の元凶となったものは何?
プロの目線でモノを見たときに、地獄の婆さんの話は作り話に思えるし、
閻魔様は中国から入ってきたものだし…、
確か地獄は中国の善導大師が布教のために、
つまり文字が読めない人たちのために、だったよな…なんてね!
アチャー、喋りすぎて時間が足らなくなるぞー!
前回の福岡開催の場合は、「葬儀の基礎知識」も併せてやらせていただいたので、
その経緯をお話し、今回はそのテキストの中から、
葬儀の様々なシーンの写真をお見せしたり、死後の物語について語ったり…。
うっふふ、一度作成したテキストも無駄にはしないですよ。
でも、何だかんだで眼一杯、終わって見たら少し時間オーバー。
司会の研修はいつも通りに進むので仕方がないか。
ぶつ切り駄目、抑揚駄目、口跡が切れないのは駄目…。
駄目駄目尽くしで、葬儀司会の講座は悩み多し。
祝儀司会と不祝儀司会の技術はこんなに違うのか!
実際、一度受けられると、イメージが変わってしまうのです。
この新人の皆さんが、何年か先に、中級でお会いする事を楽しみにしています。
頑張ってください。
<追伸>
フューネラルビジネスフェアの司会講座では、現代の葬儀が抱える諸問題の一つとして、
「死後の物語」や「葬儀は誰のため」などもくっつけてしまおう…と思っているが。
無理かなー!