通夜の日、ちょうど福岡で仕事が終わり、
そこから佐賀まで移動して、通夜の終わりにギリギリ間に合った。
偶然だけど、その日福岡で仕事があったことも因縁に思える。
ただこのレポートは、佐賀のお葬式の様子に終始したい。
個人的な感情を書くのはよそう、まだまだ気持ちの整理がついてないから。
37年ほど前には、佐賀でのお葬式を体験しているのだが、
何せ古い話だから記憶を辿ってみたが意味がない。(古過ぎっ)
この業界10年で大きく変わったのに、37年前ではねえ。
今は佐賀でも、葬祭ホールで施行するケースが圧倒的に多いらしく、
今回も施行業者が有しているホールをお借りして執り行われた。
余談だが、この業者には過去に3回、葬儀司会研修で伺っていた。
もっとも、本部があるのは福岡県だったが…。
こちらはお骨で葬儀をやるらしい、ということに少し驚いた。
通夜の時しか、故人に遭うことができないのだ。
「えっ、そんなだったっけ?」と正直な感想。
今日こちらに入れて本当に因縁を感じる。(合掌)
ということは、全体のスケジュールは、
通夜 ~ 遺族・親族のみで火葬 ~ 葬儀・告別式ということだ。
簡単に言うけどタイムスケジュールとしては、
通夜が終わって遺族は遅くまで起きているはず。
(実際私は夜中の2時半まで飲んでいた)
そして翌朝、8時15分に出棺らしい…早すぎるよ。(あんまり寝ていない)
火葬後は12時頃式場に戻り、2時から葬儀・告別式だ。
(スターのような分刻みのハードスケジュール)
前日からの睡眠時間はかなり短く、遺族はかなり無理をしている。
私も遺族・親族に混ぜてもらったので、(ありがとうございます)
宿泊しているホテルからタクシーでホールに駆けつけたのが8時5分。
10分ほど最後のお別れをして、火葬場へ出発した。
遺影写真、お位牌(浄土真宗なのに使っていました)、骨壷と骨箱、
だけではなく、シカ花も持参することになっていた。(割と珍しい)
そのシカ花の写真を載せます。(これ、面白いね)
手作りかな?と思わせる簡単な造りである。
ベニヤ板の裏から釘が直接打ってあって少し安っぽい。
この地域ではシカ花が遺体やお骨と離れることがない。
枕飾りから後壇まで、常にシカ花が共にあるのだ。
シカ花の故事来歴と照らし合わせて感慨深い。
経験してみて、お骨で葬儀をやるのは大変だと実感した。
一番奇異に感じたのは、朝のお別れである。
早い時間から、最後の対面をするのは辛い。
ただ、身内だけで出来るのが救いである。(東京と比べて)
火葬場は、喪主がボタンを押して火葬スタートになるパターンだ。
九州はこのタイプが多いような気がする。(兄貴の時の北九州でもそうだった)
東京式に慣れた者にとっては、何とも残酷なイメージが付きまとう。
職員の対応はまずまずだが、火葬場は当たり前のように山間部にあり、
住宅地からはかなり遠く、火葬時間は1時間半から2時間であった。
それはそれで、静かで落ち着いた環境と言えなくもない。
全国の中で一般的な例だろう。
12時頃にはホールへ戻り、午後2時から始まる葬儀・告別式に備えた。
つづく。
<葬祭ディレクター技能審査試験>
いよいよ9月7日、本番を迎える。
講座を受けられた方、ご健闘を祈ります。