世界に誇る日本のコンビニに、毎月10万部を発行している雑誌ですから、
私も無警戒に取材現場に伺おうとしたわけではありません。
むしろ、弱小キャラの工場長が、かの松下幸之助が創設した出版社の取材に、
同席してもいいものかと社長にモノ申したのですが、全く受け入れられず、
「とにかく石川のために行って来い。写真を撮って来い」との命令を渋々受け入れ、
戦々恐々と私は八重洲富士屋ホテルへと向かったのです。
…しまった!と思ったのは、
私が地下鉄丸の内線の東京駅からJR八重洲口という、
地球で言えば北極から南極ほどの対極にある距離をのんびり歩いていた時に、
石川さんから電話がかかってきた瞬間でした。
「今どこにいるの?」
13時ジャスト。
この第一声を聞いたとき、
石川さんは既に戦地に赴き、取材会場の布陣を整えており、
臨戦態勢に入っているということは、容易に察しがつきました。
「今、東京駅の八重洲口に向かって小走りしています」
「そう。それなら南口から出たほうが早いわよ」
つまり、一秒でも早く来いと…。
そうですよね。13時30分から取材が始まるのですから、
普通は13時には現場に入りますよね。
私は、足への命令を徒歩からダッシュに切り替えて、
私は13時02分に八重洲富士屋ホテルに到着しました。
まるで、タイタニック号の内装ような豪華なエントランスに、
石川さんは(仁王立ちして)お待ちでした。
「今何時だと思ってるのよぉぉぉ」(°o°(☆◯=(-"-#)
と、活を入れられるのかと思いきや、
いたって普通に「お疲れ様☆」と挨拶をされました。
その程よい緊張感を帯びた笑顔が、畏れ多いぜ。
石川さんは、普段見るよりも、
若干明るめのスーツ(といっても、グレーですが)と、
若干明るめの化粧(濃いわけじゃないわよ)と、
若干明るめの笑顔をお召しになっておりました。
エレベーターで4階に上がり、取材会場へ。
既に整えられた談話室に、
ホテルの方が「撮影用に」と司会台を準備してくれていました。
普通の取材にしては、気合の入ったセッティングです。
私は邪魔な椅子を片付けたりしながら、
取材までの時間が経過するのを待っていました。
石川さんも、部屋の備品などをチェックしつつ、
この部屋を自分の空間にするが如く、至る所にアンテナ張っているようでした。
無言の中で、徐々に高まってくる緊張感。
そこに、女性二人の取材班がドアのノックを叩きました。
13時30分。
その時、歴史は動いた。(by NHK風)
…いや、扉が開いた。
つづく。